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2024-03

学力テストについて

えー、最近学力テストが話題になっているようだ。
何かと話題の橋下知事がまた話題を提供してくれたようなのだが。
しかし、その取り上げられ方は、本質的なところからズレているように思う。
「クソ教育委員会」がどうした、みたいに。

だからと言うわけでもないのだが、以前少し書きかけてアップし損ねた記事を書き上げようと思う。

教育については本当に色々と言いたいことがある。
で、どこから話をしようかと思案しているのだが…

全国一斉テストが復活した。
犬山市はどうやら参加しないらしい(市長はなんとか参加したくて、教育委員長まで変えたらしいですね)。
全国学力テスト、犬山市の動向
全国一斉学力テスト 犬山市について
全国学力テスト、参加しません(図書)
【どくしょ室 / 全国学力テスト、参加しません。 犬山市教育委員会の選択 / 犬山市教育委員会編 明石書店 本体1200円+税 / 「競争」よりも「学び合い」】(上記の図書の書評?)

なぜ、全国一斉テストが必要なのか?
僕にはまずその理由から分からない。
児童・生徒に学力がついたかを見るため?
なぜ学力がついたかどうかを見なければならないのか?
教育がきちんと行われているかどうかを監視するため?
教育の効果は学力テストによって計られる「べき」なのか?
だとしても、全国一斉テストの必要性はないのではないか(コストの面、効率の面、フィードバックの問題など)?
学力テストの結果が重視されるなら、教育はテストで点を取るための教育に堕してしまうのではないか(既にそのような傾向にあり、その傾向に拍車をかけるのではないか)?
テストとは一種のパズル解きに過ぎないのだが。
学力が大事だからか?
学力が大事だとして、一体どういう意味で大事なのか?
学力がなければ、社会が崩壊する?(この場合の「崩壊」とは、社会が具体的にどうなることなのか?)
学力低下を危機的に煽る報道があるが(分数ができない大学生が代表的)。
しかし、学力低下亡国論者(あるいはそれに共感する人物たち)は、学力低下が「具体的に」どういう害を及ぼすのかを「冷静に」考えたほうが良い。
扇動的に学力危機なるものを声高に叫ぶだけでは、真っ当な教育論議は出来ない。
学力危機が煽られて利益を得るのは、少子化による売り上げ低下を危惧する受験産業(塾・予備校・私学もか?)だけである。
学力テスト利権を有する文科省官僚もかな?

まあ、百万歩譲って(まあ僕は譲りませんが)、これらの懸念をもっともだとしよう。
だとすれば、子供の学力を見る前にやることがあるでしょうが!
今の社会を作っているのは、誰ですか?
子供ですか?小学生・中学生・高校生ですか?
違うでしょう。
大人ですよ、大人(例えば、選挙権を有するのは20歳以上です)。
政治が直接関わらないことでも(間接的にはあらゆることに政治が関わると言えるのだが)、社会のほとんどのことは大人が決めてきた(子供が決めることができるとすれば、子供社会のことだけだろう)。

じゃあ、社会を維持し・発展させていく上で、学力が不可欠と考えるなら(僕はちっともそうは考えないが)、まずはその社会を作り上げている大人の学力を云々しなければ嘘だろう。
つまり、全国一斉学力テストを実施するなら、まずは何をおいても大人に一律に課すべきである。
当然ある一定の水準を達成できない大人にはペナルティ課せられる(学力不足の大人を放置していたら、社会の発展は望めないだろうから)。
例えば、選挙権の剥奪とか、学校のお勉強の強制とか。
そうやって、学力維持に必死な大人を見たら、子供もすこしは勉強しようと思うかもしれない(そんな大人を思いっきりバカにする子供のほうがよっぽど健全だと思うが)。
まあ、これは皮肉。

念のためお断りしておきますが、僕は大人に学力一斉テストを課すべきだと主張したいのではありません。
こんなものは、お断りするまでもなくバカバカしい戯言です。
だとしたら、子供に全国一斉学力テストを課すのも同様にバカバカしい。
大人に対して課すのはバカバカしいものが、子供に対してはバカバカしくはない(例えば全国一斉学力テスト)、という抜きがたい信念がこの社会にはある。
その信念が現在の学校教育を覆っている(で、それはなくしていくべきだと思う)。
学校は一つの模擬社会には違いないが、それは間違いなく日本社会の一部である(模擬社会を通過した人間が社会へと出ていく)。
だとすれば、模擬社会ではあっても現実の社会に近づけることが必要ではないか?
そこに違いがあり過ぎるとすれば、学校という模擬社会を通過した人間が、現実社会へと適応することを困難とする。

しかし、現実の方向はその逆を向いている気がする。
つまり、学校の社会化ではなく、社会の学校化だ(サヨナラ、学校化社会)。
学校化社会では、児童・生徒的な優等生さが求められる。
その優等生さとは、「物事には正解があり、その正解を求めればよい」、という考え方のことである(多くの日本人、特に左翼に染み付いた考え方だと思う)。
自由で柔軟な発想や、闊達な意見交換や。ダメ元のチャレンジなどは忌避される(本当は行き詰まりの打破にはこれらこそが必要なのだが)。
学力テストは、正解の決まった問題において、正解を求める作業であるがゆえに、上記の優等生的なあり方をますます加速させる。

「子供の学力一斉テストは必要だが、大人には必要がない」
と考えている人は、次の問いに答える必要がある。
社会人にはある学力が必要だと考えるなら、一体どうして大人に学力テストを課す必要はないのか?
逆に、現在社会を作り上げている大人に学力テストを課す必要がないにも関わらず、社会に出てもいない子供に学力テストを課す理由は何か?
あ、学力テストは選抜のために必要だ(要するに入試)、という意見があるかもしれない。
それに対しても大いに反論はあるのだが、それはまた別エントリーで述べます。

学力テストに象徴的に見られるように、既に子供時代を通過して、大人になってしまった人間(の一部)が、絶対に子供時代に戻ることがない、という立場から子供たちに無理難題を課していくのだな(子供たちの意見や意思を一切聞き入れることなく)。
日本社会が真の意味で民主主義を体現するためには、「学校の民主化」が絶対に必要だと僕は考えているのだが、時代はそれに逆行しているようだ。
「民主主義は教育から」ということなのだが、教育の現状を見ると見通しは暗いと言わざるを得ないのかもしれないな。
挙手・採決を禁止するおかしな都教委に抗議する土肥信雄・都立三鷹高校校長の話を聞きましょう
都立三鷹高校の土肥先生を「別件」で事情聴取する都教委の傲岸ぶり

最後に全国学力テストについての社説一覧
意外にも(?)全国一斉テストには懐疑的な社説が多い印象だな(学力テストそのものに懐疑的なのは少ないかな)。
全国学力テスト結果公表・社説1
全国学力テスト結果公表・社説その2

本日の一曲は「Straight Up」繋がりで、Chante mooreの「Straight up」
本日はコメントなしで(衝動買いしたアルバムなのであまりコメントすることがない)

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