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2024-04

疑似科学批判考(番外編3 aliceさんへの応答)

このエントリーは、基本的には疑似科学批判考(5)に頂いた、aliceさんのコメントに対する返答ですが、少し長くなったこともあり、また一連のシリーズの流れにあると判断し、エントリーとして上げることにしました。
関心のある方は、考え方の一つとして読んでいただければと思います。
口調はいつもと違って対話口調になっています。

>2点、コメントさせていただきます。

うーむ、結構な難題を出されてしまいましたね(aliceさんのイジワル)。
でも一応首を突っ込んだものの宿題として考えてみます。
散漫にならないように、要点を絞って。

>社会有害性については、「実害が生じたら対処すべき」だけでは済まされない気がしています。もっと掘り下げてまとめられたドキュメントがあってもいいように思います。個々の案件ごとに論ずるべきなら、分類や(考え方の)リストでも良いのです。

これに関しては、僕としてもスッキリ答えが出ているわけでもないんです。
ただ、「実効的に何ができるか?」、と言うことを考えると、なかなかうまいアイデアがありません。また、実害が出る前から疑似科学批判を行うとしたら、糾弾的方向になってしまいがちかなという思いもあります。
いずれにしても、「疑似科学志向の人はあっち側の人」っていう切断操作は、うまくいかないのではないか?とは感じています(個人的には「絶対に」と言いたいところですけど)。
つまり、疑似科学一般を糾弾するような批判のあり方は、実質的には何の効果もないだろうと(糾弾する人の自己満足しか得られない)。

例えば、オウム真理教批判の時に、「一般信者にはいい人が多い」という言い方もなされましたが(これも傲慢といえば傲慢な物言いなのですが)、「いい人/悪い人」は別にして疑似科学的な志向(その一つとして新興宗教への志向)それ自体は、僕はそれほど危険視していないんです(恐らくは大なり小なり多くの人が持っているだろう)。
むしろ、危険なのは「非科学的だ!、常識がない!、思考停止だ!」と糾弾し、疑似科学支持者を「あっち側」へと追いやっていく言説だと思うのです(「こっち側へ来い」も十分不遜だと思っています)。

僕は個人的には、完全に疑似科学にドップリのめり込んでいる人を説得するのはまず不可能だと考えています。
みみずくからの伝言の「私はいかにしてビリーバーでも何でもない友人を説得できなかったし今もできないか(略して「わたビリ」)」シリーズを読んでもそのことは痛感しますね(ネットなんぞで疑似科学的志向を変えることなんてできっこない!)。

したがって、僕の関心は、「疑似科学に今後嵌り込んでしまうかもしれない人をどうするか?」、ということになります。

>たぶんカルト系でそういう本も出てると思いますが、そこから敷衍して考えられるのかどうか。

宮台真司辺りはその辺の考察もしていますが、どうも抽象的に理屈をこねまわしている印象がないでもないです。社会学者は概念操作によって、事象を説明すれば満足するようなところもありますし(大いなる偏見かも知れませんが)。
実効的になにをすればよいか?という問題意識は薄いと言いますか…

>次に批判的思考ですが、疑似科学批判時に批判的思考を教えるというのは、なかなか困難ではないでしょうか。

ここは僕の信念と言うか、そういう部分もありますが簡単に述べてみます(実効かどうかはちょっと検証の余地があるでしょう)。
僕は「批判的思考」というものは、「批判的でない思考」というものと対比して論じることで、よりその輪郭を得やすいと考えています。
ソシュール流にいうと、「言語は差異の体系」ですから、あることを論じる場合は、それとは異なる事柄と対比させながら述べることで、理解を得やすくなるということです。
で「批判的思考」と対比させるものは様々あるでしょうが、その代表的なものの一つとして「疑似科学的思考」があるのかなと。
できれば、科学は批判的思考により発展してきたのであって、疑似科学的思考はあまり思考の道具としてはうまくいかないというところも教えた方がいいと思います。
それは必ずしも「疑似科学批判」という文脈にはならないのでしょうが、それはそれでよいのではないかと思っています(要は批判的思考が身につけばよいのであって、あえて疑似科学批判を行う必要はないのではないか、ということです)。

>中学高校の理科教育の現場は大変良い場だと思います。でもそこからすでに離れてしまった人にどうするか。

上記の問いと関連すると思うのですが。
まず、学校教育で、少し科学哲学的なところまで踏み込んだ教育を行うことはあってもいい(科学とは一体どんな営みか?)。
ただ、科学哲学的なところに踏み込むには、高校生くらいの科学理解には達していないと無理かも知れません(ある程度抽象性を理解する必要がある)。
批判的思考の訓練を行うのは、もう少し低学年(中学生くらい)でも可能かな、と思います(その時に疑似科学を教材として批判的に取り上げる)。
しかし、これをできる教員がそもそも十分に確保できるか?が問題でしょうね。
大学から臨時講師として派遣してもらうという手もありかもしれません。

すでに学校教育を離れた人に関してですが…
一応、あくまでアイデアとして。
疑似科学的なものに容易に吸引される(だろう)人々を対象として、ゴシップ雑誌あたりに疑似科学批評コラムみたいなものを定期的に載せるという手はありかもしれません(テレビはまず絶望的だし、新聞も実効性という点では効率が悪いかも知れない)。場合によっては補助金を出すという手もあるかもしれない(そうなるといろんな問題点も出てくるかもしれませんが)。

ただ、その時に気を付けるのは、「だから疑似科学なんてものは…」という風に話を持っていかないことだと思います。
疑似科学的なものにも理解を示しつつ、「でも科学的に考えればちょっと怪しげな点もあるし、科学的に考えた方が面白いよ」、と言う風に話を持っていくのがいいのかな、と思っています。そして、「批判的思考の肝」みたいなところを、エッセンスとしてさりげなく提示する。

これでもどれくらい実効性があるかはわかりませんが、それでも特定のブログを糾弾するよりは効果が期待できるのではないかと考えております。

取り敢えずお返事を兼ねて。
本など読んでまたもう少し具体的なことが言えれば、エントリーを上げてみようと思います。

疑似科学批判考関連エントリーはこちらから。

コメント

2点の話

quite10さん

お返事エントリーわざわざありがとうございます。
その返信が随分遅くなってしまいすみません。

> うーむ、結構な難題を出されてしまいましたね(aliceさんのイジワル)。
す、すいません。どうしても自分が興味をひかれていてなおかつ困難な問題を聞いてみたくなってしまうものですよね、一般的に誰でも。ねっ。
(強引に同意を求める。^^;)

社会有害性を整理しておくべきという発想は、【「非科学的だ!、常識がない!、思考停止だ!」と糾弾し、疑似科学支持者を「あっち側」へと追いやっていく】これをさせないための方策でもあると思うのです。
おそらく疑似科学批判者にも批判的思考法に熟達している人もいれば、いない人もいるだろうと思います。
有害性を整理しておくことは、熟達していない人に「○○だからいけない」というのでなくて、「なぜいけないのか?」を考える手段にもなり得るはずなのです。

かといって私も「どうしたらいいか」を考えるところまで辿りつきません。まだまだ勉強中です。

批判的思考の教育については、私のブログでも紹介した「理科教室」5月号(特集:非合理と科学教育)
(●ニセ科学批判と超常信念と批判的思考
http://d.hatena.ne.jp/alice-2008/20080621/1214012442)
こちらでも、オカルトやニセ科学などの「超常信念(このブログでは疑似科学という言葉が相当)」を教育に用いることの有効性が挙げられています。欧米ではすでに積極的に取り上げられているとか。

他のquine10さんの提案もブレストの初期段階としては良いものだとは思います。

また他ブログの批判については、糾弾とまで第三者にとらえられてしまうようなやり方は、確かによくないですよね。まったく同意です。相手との対話を一切拒絶するような切り口での取り上げ方は危険です。

とりとめないですが、こんなところで今日は失礼します。

aliceさん

まだ読んでもらっているかな?

>その返信が随分遅くなってしまいすみません。

いえいえ、こちらこそ。
僕もaliceさんのようなコメントには時間を掛けねば(安易には答えられないな)と思いますので。

>社会有害性を整理しておくべきという発想は、【「非科学的だ!、常識がない!、思考停止だ!」と糾弾し、疑似科学支持者を「あっち側」へと追いやっていく】これをさせないための方策でもあると思うのです。(中略)
>有害性を整理しておくことは、熟達していない人に「○○だからいけない」というのでなくて、「なぜいけないのか?」を考える手段にもなり得るはずなのです。

なるほど…
そういう見方は僕にはなかったかもしれません。
というか、あの騒動のせいで(?)、疑似科学批判そのものに懐疑的になっていたのかもしれませんね(100%言い訳ですが)。
確かに、「客観的に有害性を検討し、整理する」、ということは疑似科学批判云々の前に必要な気がします(断言できないところがなんですが)。

ただ(と天の邪鬼な僕は留保をつけてしまいます)、その有害性を認識し、それを巧妙に回避した上で、それでも疑似科学的なものを志向する場合、それは批判すべきでしょうか?(ひょっとしたら、この辺りが僕とaliceさんの方向性の違いかもしれません)

aliceさんのエントリーも読ませていただきました。
その中で、僕が個人的に重要だと思ったのが、
 
 「科学的知識の理解度と、超常信念の強さの間にはおおよそ反比例の関係があるものの、関係性はあまり強くなく、ほとんどゼロという結論もあるとのこと」

の部分ですね。
このことは、疑似科学批判をする上で、個人的には是非とも強調したいことですね。
「科学的常識がない人が疑似科学に吸引される」という見方は非常に根強いと思います(それが疑似科学支持者をあっち側へと追いやる要因になっている、とも思います)。

>オカルトやニセ科学などの「超常信念(このブログでは疑似科学という言葉が相当)」を教育に用いることの有効性が挙げられています。欧米ではすでに積極的に取り上げられているとか。

日本でも是非積極的に取り組んでもらいたいですが、いかんせんこれまでの蓄積がなさすぎる気がします。
まずは、中高レベルで取り組める超常現象を総合的に取り扱ったテキスト作りが急務ですね。
で、授業で取り上げるとしたら、理科では無理ですよね(多分)。
総合学習かな?

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