ベーシックインカムと市場経済
かなーり久々にベーシックインカムネタです。
繰り返しますが、ベーシックインカムは当ブログのメインテーマであります。
当ブログのベーシックインカム関連エントリーは末尾に表示します。
実は先日(といってもだいぶ前だが)、ベーシックインカムについて精力的に述べられているブログからコメントを頂いた。
議論 de 廃棄物というブログである。
そちらのベーシックインカム関連エントリーはこちらから
僕のええ加減な議論とは違い、かなり説得力を持って展開されています。
ベーシックインカムに賛同する人も、懐疑的な人もぜひ読んでみて下さい。
こうやって同士を徐々に増やしていければ、ブログを始めた甲斐もあるってもんですね。
前置きはこれくらいにして本題へ。
ベーシックインカムの概念に初めて接した人は、「共産主義か!」と心の中で突っ込みを入れた方もいるかもしれない。
しかし、こちらのエントリーでも示唆したように、ベーシックインカムは必ずしも産業資本主義と理念的に相反するものではない。その辺りを本エントリーで述べていこうと思う。それが、結果的にはベーシックインカム導入を促進するように働くだろう。
本題に入る前に。
ベーシックインカムは「負の所得税」と類似すると言われる(「負の所得税」概念はよく知りませんのでこちらを参照。ほとんどベーシックインカムと変わらないが、「負の所得税」ではフラット税率が前提なのだろうか?)。
そして、何を隠そう「負の所得税」を提唱したのは、ネオリベラリズム・市場原理主義の祖と言われるミルトン・フリードマンである(wikipediaでは提唱ではなく展開らしいですが)。
どうかなあ…引いちゃう人いるかなあ…
アンチネオリベの人々ももうちょっと辛抱してほしい。
つまり、人によって共産主義的とみるかもしれない(し、実際にそのように批判する人もいる)ベーシックインカムにも通じる概念(負の所得税)を、反共の急先鋒たるネオリベの元祖が提唱していたという事実は一体何を意味しているだろうか?
些か想像(妄想?)を逞しくして言えば、ベーシックインカムとは右から左まで(それどころか極左から極右まで)支持されるまさに理想の社会政策かも知れないのだ!
とまあ、脳内お花畑はこれくらいにしてと。
ベーシックインカムは政府による最低限度の生活保障だが、しかし、ベーシックインカムは、個人がより多くの所得を得ようとすることを否定しない。つまり、人々の金を儲けて「おいしい生活(古っ!)」をしようという利己的な動機(それは資本主義が機能するための絶対条件である)を阻害しない。その意味で、ベーシックインカムは資本主義的社会体制と矛盾しない(それゆえ、共産党を蛇蝎のごとく忌み嫌う保守主義者からの支持も得られるだろう)。
また、より重要なことだが、現在のような弱者切り捨て的な政策が続けば、既に貧困層へと落ち込んだ弱者は言うに及ばず、ボーダーラインにいる人、将来に希望を持てない人間が数多出てくることで、消費が冷え込む、所得を消費に回すことを回避し、不安で仕方のない将来への備蓄とする(もちろん、備蓄すらできない貧困層が膨大にいる)。そうなるとますます物が売れなくなり、景気が落ち込んで…(以下略)。そういうスパイラル(デフレスパイラル?)に既に落ち込みつつある日本社会が、このスパイラルから脱することは相当に困難である。年金や後期高齢者医療制度の問題もあり、将来に不安を抱える人々を大量に生み出し、ますます消費への志向を弱めてしまうだろう(ここに消費税増税が加わったら一体どうなるか?想像するだに恐ろしい)。
つまり、資本主義が健全に機能するには、人々が将来に対する不安を持たない、すなわち社会にセーフティーネットが存在することもまた必要なのだ(将来への不安がある程度解除されて、人々は消費へと向かうことができる)。
ベーシックインカムはすべての市民に対する生涯を通じた基本所得のため、財源はすべて税となる(年金のような保険料未納入の問題が発生しない)。
生涯を通じて基本所得が保障されるがゆえに、得られた所得の多くを消費に回すようになるだろう(もちろん、ベーシックインカムを十分な所得とみなさない人、消費し切れないほどの収入を得る人は、貯蓄をするだろうが)。
それは、現在のいびつ(?)な金融資本主義から、消費によって金が回る産業資本主義へと、経済を健全(?)なものに変えていく(可能性がある)。
つまり、一部の金融機関の利己的な行動(投機)によって金が動くという事態(金融資本主義)から、生産・消費という人間の生活に密着した形で金が動く経済(産業資本主義)と形を変えていく(可能性がある)。
こうして、左派的な弱者保護の観点を含みつつ、産業資本主義的な経済のあり方を否定しない(どころか推進していく可能性すらある)ベーシックインカムは、少なくとも理念的には多くの賛同者を得られるだろう(アンチネオリベ勢力の多くを取り込むことができると思われる)。
この理念が実現するかどうかは、各論(実際の給付をどの程度にするか)にもよるだろうが、それはまた別に。
当ブログのベーシックインカム関連エントリーはこちらから
ベーシックインカム考 七方ふさがり一方あかりも参考に
繰り返しますが、ベーシックインカムは当ブログのメインテーマであります。
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実は先日(といってもだいぶ前だが)、ベーシックインカムについて精力的に述べられているブログからコメントを頂いた。
議論 de 廃棄物というブログである。
そちらのベーシックインカム関連エントリーはこちらから
僕のええ加減な議論とは違い、かなり説得力を持って展開されています。
ベーシックインカムに賛同する人も、懐疑的な人もぜひ読んでみて下さい。
こうやって同士を徐々に増やしていければ、ブログを始めた甲斐もあるってもんですね。
前置きはこれくらいにして本題へ。
ベーシックインカムの概念に初めて接した人は、「共産主義か!」と心の中で突っ込みを入れた方もいるかもしれない。
しかし、こちらのエントリーでも示唆したように、ベーシックインカムは必ずしも産業資本主義と理念的に相反するものではない。その辺りを本エントリーで述べていこうと思う。それが、結果的にはベーシックインカム導入を促進するように働くだろう。
本題に入る前に。
ベーシックインカムは「負の所得税」と類似すると言われる(「負の所得税」概念はよく知りませんのでこちらを参照。ほとんどベーシックインカムと変わらないが、「負の所得税」ではフラット税率が前提なのだろうか?)。
そして、何を隠そう「負の所得税」を提唱したのは、ネオリベラリズム・市場原理主義の祖と言われるミルトン・フリードマンである(wikipediaでは提唱ではなく展開らしいですが)。
どうかなあ…引いちゃう人いるかなあ…
アンチネオリベの人々ももうちょっと辛抱してほしい。
つまり、人によって共産主義的とみるかもしれない(し、実際にそのように批判する人もいる)ベーシックインカムにも通じる概念(負の所得税)を、反共の急先鋒たるネオリベの元祖が提唱していたという事実は一体何を意味しているだろうか?
些か想像(妄想?)を逞しくして言えば、ベーシックインカムとは右から左まで(それどころか極左から極右まで)支持されるまさに理想の社会政策かも知れないのだ!
とまあ、脳内お花畑はこれくらいにしてと。
ベーシックインカムは政府による最低限度の生活保障だが、しかし、ベーシックインカムは、個人がより多くの所得を得ようとすることを否定しない。つまり、人々の金を儲けて「おいしい生活(古っ!)」をしようという利己的な動機(それは資本主義が機能するための絶対条件である)を阻害しない。その意味で、ベーシックインカムは資本主義的社会体制と矛盾しない(それゆえ、共産党を蛇蝎のごとく忌み嫌う保守主義者からの支持も得られるだろう)。
また、より重要なことだが、現在のような弱者切り捨て的な政策が続けば、既に貧困層へと落ち込んだ弱者は言うに及ばず、ボーダーラインにいる人、将来に希望を持てない人間が数多出てくることで、消費が冷え込む、所得を消費に回すことを回避し、不安で仕方のない将来への備蓄とする(もちろん、備蓄すらできない貧困層が膨大にいる)。そうなるとますます物が売れなくなり、景気が落ち込んで…(以下略)。そういうスパイラル(デフレスパイラル?)に既に落ち込みつつある日本社会が、このスパイラルから脱することは相当に困難である。年金や後期高齢者医療制度の問題もあり、将来に不安を抱える人々を大量に生み出し、ますます消費への志向を弱めてしまうだろう(ここに消費税増税が加わったら一体どうなるか?想像するだに恐ろしい)。
つまり、資本主義が健全に機能するには、人々が将来に対する不安を持たない、すなわち社会にセーフティーネットが存在することもまた必要なのだ(将来への不安がある程度解除されて、人々は消費へと向かうことができる)。
ベーシックインカムはすべての市民に対する生涯を通じた基本所得のため、財源はすべて税となる(年金のような保険料未納入の問題が発生しない)。
生涯を通じて基本所得が保障されるがゆえに、得られた所得の多くを消費に回すようになるだろう(もちろん、ベーシックインカムを十分な所得とみなさない人、消費し切れないほどの収入を得る人は、貯蓄をするだろうが)。
それは、現在のいびつ(?)な金融資本主義から、消費によって金が回る産業資本主義へと、経済を健全(?)なものに変えていく(可能性がある)。
つまり、一部の金融機関の利己的な行動(投機)によって金が動くという事態(金融資本主義)から、生産・消費という人間の生活に密着した形で金が動く経済(産業資本主義)と形を変えていく(可能性がある)。
こうして、左派的な弱者保護の観点を含みつつ、産業資本主義的な経済のあり方を否定しない(どころか推進していく可能性すらある)ベーシックインカムは、少なくとも理念的には多くの賛同者を得られるだろう(アンチネオリベ勢力の多くを取り込むことができると思われる)。
この理念が実現するかどうかは、各論(実際の給付をどの程度にするか)にもよるだろうが、それはまた別に。
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ベーシックインカム考 七方ふさがり一方あかりも参考に
コメント
ベイシックインカムの是非に付いてそもそも論議しなきゃいけない所が悲しいですね。西欧では啓蒙主義時代前後から論議されて現在の北欧社会主義の様に殆ど完全なまでに(完全とは言いません)到達し、宗教的には道教、キリストまで遡れる事が出来、其れだけではなく古代から社会はある一定の最低生活条件をプロバイドする義務があるとされているのですが。こんな事を論議しなくてはならないこの事実はもう人間の文明社会と言うものは失われているのかも知れませんね。
ejnewsさん
コメントありがとうございます。
>ベイシックインカムの是非に付いてそもそも論議しなきゃいけない所が悲しいですね。
悲しいながらもこの現実から出発するよりしょうがないです。
しかし、ネオリベ的言説がマスメディア上を支配している現状では、見通しは暗いと言わざるを得ないでしょう。
ですが、ネットではネオリベに対抗する言説も力を発揮し得ると信じてやっていくしかないでしょうね。
>こんな事を論議しなくてはならないこの事実はもう人間の文明社会と言うものは失われているのかも知れませんね。
ペシミスティックな印象を受けますが、気持ちは分かります。
単なるヒューマニズムとは別様の原理も必要なのかもしれません(その原理が何か、今のところ僕にはわかりませんが)。
>ベイシックインカムの是非に付いてそもそも論議しなきゃいけない所が悲しいですね。
悲しいながらもこの現実から出発するよりしょうがないです。
しかし、ネオリベ的言説がマスメディア上を支配している現状では、見通しは暗いと言わざるを得ないでしょう。
ですが、ネットではネオリベに対抗する言説も力を発揮し得ると信じてやっていくしかないでしょうね。
>こんな事を論議しなくてはならないこの事実はもう人間の文明社会と言うものは失われているのかも知れませんね。
ペシミスティックな印象を受けますが、気持ちは分かります。
単なるヒューマニズムとは別様の原理も必要なのかもしれません(その原理が何か、今のところ僕にはわかりませんが)。
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