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2024-02

善意とパターナリズムについて

Twitterで元検事の某氏と、その某氏が発した言説を巡ってちょっとした議論(?)になった。
その詳細は記しませんが、そのやり取りから善意とパターナリズムについて少し考えることになったので、それについてエントリーをアップしようと思う。


いきなり本題に入るが、皆さんには以下の発言(上記の某氏から別の個人に宛てられたツイートの一部)を読んでほしい。

「多くの人から批判されているところを直せば、もっと理解者が増えると思う」

さて、皆さんはどう感じただろうか?
もちろん、「発言はそれが特定の文脈に置かれることで初めて意味を持つ(からこれだけでは評価できない)」とか「文脈を離れてこの発言のみを云々することには意味はない」などと言う人もいるだろうし、その指摘は正当だと僕も思う(僕自身も文脈主義者の一人だと自認している)。
しかし、上記の発言が全く意味不明でない限り(フツーの日本人にとっては意味を読み取るのは容易だろう)、それだけを切り出して云々できることもあるはずだ(多分)。


ということで、早速上記の発言について考えてみたい。
まずは本エントリーの主題に関して、善意とパターナリズムに関して少し考えてみたい。


その前に、まずは読者の方で、上記の発言を「善意に発するもの」と捉える(べき)か、「パターナリズムに基づくもの」と捉える(べき)か、考えていただきたい。
もちろん、「善意とパターナリズムは判然と区別できるものではない(からそのような問には意味がない)」と考える読者もいるだろうし、そういう方はこの問いに対する答えを留保して先に進んでもらって構わない。
念のため一点だけ記しておくと、仮に「善意に発するもの」と「パターナリズムに基づくもの」に判然とした区別がつかないとしても、この区別それ自体に意味がないわけではない、ということは強調しておきたいと思う。
ちなみに、議論の中で第三者から、「パターナリズムは大抵善意から発するものだ」との指摘もありました(これは判然と区別できないところか、善意とパターナリズムの一体性を主張するものです)。
このことの妥当性も以下の論考で明らかになるのではないかと思います。



では、これから僕の分析に入るわけですが、その前に僕の答えをまずは述べておきます。
僕は某氏の発言を、「(善意のカケラもない)剥き出しのパターナリズム」と捉えました。
従って、以下の論考ではこの発言のどこがパターナリズムに基づくものであり、どうして善意に発するものではないのかを論じることになります。



その前に再度読者に考えていただきたい問いを提示します。
それは、
あなたの身近な親しい人(親、子、親友など)に悩んでいる人がいるとして、その人にあなたは「多くの人から批判されているところを直せば、もっと理解者が増えると思う」という助言を与えるだろうか?
ということです。
注:この人は、周りから理解されていないことについて悩んでいる、と考えられます。


えっ?与える?
困ったな…
ここで「与える」と答えた人は、僕流の定義によると善意による行為というものを行えない人なのかもしれません…
まぁ、それはそれとして。
では、なぜ問題の発言が善意によるものではないと言えるのか?


まず、「多くの人(から批判されているところを)」という部分を考えてみましょう。
私たちが本気である人のある部分を直してほしいと考えているとしましょう。
その場合に「多くの人」を論拠に直してもらいたいと言うでしょうか?
「多くの人」は一体どこにいるのか?
「多くの人」を一人一人具体的に挙げていったとして、そこにこの発言をしている「私」は入っているのか?(仮に「私」が入っていないとするなら、この発言は「私」の心からのものではない、すなわち善意によるものではない)
入っているとしたら、なぜ「私」ではなく「多くの人」なのか?


本気で「私」が心から助言をしようとするなら、「(他の人がどう思おうとも)私はこう思うから」となるのではないだろうか?
つまり、助言をするまさにこの「私」ではなく、どこの誰かもわからない「多くの人」を持ち出している時点で、この発言は善意に発するものとは到底捉えられないのであります(異論歓迎)。


もう一点あります。
「もっと理解者が増えると思う」という部分を考えてみます。
理解されないことを悩んでいる人にとって、周囲から「理解してもらう」ことは喉から手が出るほど欲していることでしょう(某氏の発言の相手が理解されないことを悩んでいるかどうかは僕にはわかりませんが)。
そういう人に「もっと理解者が増えると思う」と助言(?)することは、エサを与える(というと語弊があるかもしれませんが)ようなことではないでしょうか?
言い方を変えるなら、「もっと理解者が増えるんだから、(多くの人から批判されているところを)さっさと直せ」という風にも聞こえます。
まぁ、これは僕がひねくれているからかもしれませんが…
しかし、「助言を受け入れた結果の利益(理解者が増える)」を示してある行為(批判されているところ直す)をさせようとするのは、利益による誘導と申して差し支えないでしょう。
この場合の「利益」は一般的には、「これが貴方のためなのよ」という形で示されることになります(これはパターナリズムそのものですね)。
さて、「善意に発する」とは、「利益を示して特定の行為を誘導する」ことでしょうか?
僕は断じて否と言います。
「(結果的に理解者が増えようと増えまいと)私はこうするのがよいと思う」というのが心からの助言ではないでしょうか?


さらに言えば、自らの助言が取り入れなかったとしても、そのことを受け入れられなければ(つまり、「せっかく助言したのに云々」と恨みがましいことを言ってしまうのなら)、それもまた善意に発する助言とは言えないのであります。
この点は件の発言には直接は関係しませんが。


まとめます。


ある助言が善意に発するかどうかを見るためには…

1.「(他の人はどうあれ)私はこう考えるから」ということを論拠としているか(Noならば善意に発するものではない)
2.「こうすることが貴方のためになる」と利益に誘導しようとはしていないか(Yesならば善意に発するものではない)
3.助言が受け入れられなかった場合に「せっかく助言したのに云々」などと恨みがましいことを言っていないか(Yesならば善意にはっするものではない)


というところが注目点になります。
もっと簡単には、「自分が身近な親しい人に助言するときにそのような言い方をするか?」を考えれば良いということですが。


ついでに、善意に発するものでなければ、それはパターナリズムに基づくものと断じてよいだろうということも示せたのではないかと思うがいかがだろうか?


以上の論考は某氏とのやりとりから、些かきれいにまとめたものです。
もし実際のやり取りを見たければ、@quine10のアカウントから僕の発言が読めると思います(僕は某氏をフォローしていないので僕のツイートから某氏のアカウントを見つけてください)。

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