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2024-02

予言の言語ゲーム

普天間「移設」問題、5月末決着ができるかどうか、喧しいですが・・・
実は「移設」問題じゃない(なかった)、らしいですけどね。
あ、本来は閉鎖だったのが、アメリカとしては(自分達の都合優先すれば当然のことながら)単に閉鎖じゃ嫌だって駄々をこねたら、(自民党政権下の)日本政府が(基地新設に伴う利権に目がくらんで?)あっさりOKしたものらしいですが・・・


巷では、「鳩山政権では普天間問題に決着をつけられない(から5月辞任は避けられない)」とか「県外・国外は不可能だ(から、最終的には県内に落ち着くしかない)」とか「鳩山氏にはウルトラCがある」とか、まあ随分と未来予測(=予言)的な物言いが溢れていますね。


5月末になれば(あるいは6月になれば)、(「移設先」の決着がつく、つかないを含め)その辺の事情はクリアになります。
なら単純に5月末に(あるいは6月に)なるのを待てば良いものを、「こうなる」「いや、こうだ」「いやいや、こうにちがいない」と予言的な物言いが溢れるのはなぜだろう?


独断と偏見で言わせてもらうなら、それは、「自分は未来を予測できる特別な人間だ」と思いたいからだ。
あるいは、「自分の言ったことが当たった」ということで、優越感に浸りたいからだ。
さらには、いかにもな予測をすることで、拍手をもらいたいからだ(あ、これは俺か)。
もっと言えば、
しかも、間違った予測をしたとしても、な~んも責任を取る必要もない。


しかし、考えてみよう。
例えば、未来予測として、「Aになる」か「Bになる」かの二者択一の場合(それほど多くはないかもしれないので、「Aになる」か「Aにならないか」でもよい)、単純に予測しても、当たる人はそれなりの数になるだろう。
しかし、それで当たったとして、果たして「未来を予測する知能を有している」と言えるだろうか?
断じて言えない(言えると言いたい人は、是非反論してください)。


言えることは、「Aになる(Aにならない)と予測(予言)した人間がいる」ということと、「Aが現実に生じた(しょうじなかった)」ということだけである。
もちろん、この媒介項として、予言した人間の予測能力(?)というものを持ち出すことは可能だが、予言の的中はそのようなものを全く保障しない(予言する人間が増えれば、予言が的中する物言いも当然増える)。
にもかかわらず、ここまで未来予測(予言)的物言いが溢れているのは、この簡単な事実を認識できていない人が多いということだろうか?
あるいは、「俺(私)の予言だけは、それが的中したときに限り、予測能力(?)を証明するのだ」という俺様特別人間が溢れているということだろうか?


さて、予測の的中は、予測能力を証明するものではない、ということに納得された方はどれほどいるでしょうか?
一つ例を挙げれば、ギャンブル(例えば競馬)の予想があります。
競馬新聞を開けば、ほとんどの予想(互いに両立しない予想)について、実に「もっともらしい理由」が添えられることに気付くでしょう。
そして、ギャンブルの結果は唯一つになります。
つまり、少なくとも外れた予想については、それに添えられた理由がどれほど「もっともらしく」あろうとも、予想された結果を導くわけではない、ということが理解できるでしょう。
要するに、「もっともらしい理由」が予想の結果を保障するわけではない。


では、当たった結果についてはどうでしょうか?
「『もっともらしい理由』が付与されたがゆえに当たったのだ」と言えるでしょうか?
断じてNoであります。
言えることは、「もっともらしい理由」が付与された多くの予想のうち、当たるのは高々一つだけである(同着という事態は考えないとして)ということである。


さて、社会についての予言は単なる予言ではない。
言い換えれば、未来予測は実際には現在に影響を与え(得)る。
この事態は象徴的にいえば、「予言の自己成就」あるいは「予言の自己否定」と呼ばれる事態である。


これは、言説が(それがどのような形を取ろうと)現実の人間の生き方に影響を与えずにはおかない、という再帰性を言い表したものである。
その言説には、当然未来予測(予言)的な形態も含まれる。
つまり、単に未来のことを記述しているように思われる言説(予言)が、今現在の人間の生き方に影響を与え(得)る。
そして、その結果未来に影響を与え(得)る。


この影響の与え方が、予言を成就するように働く場合には「予言の自己成就」と呼ばれ、予言を否定するように働く場合は「予言の自己否定」と呼ばれる。
これはさらに一般化して言えば、「言説の権力作用」と呼ばれる事態であろう。


この権力作用は、マスメディアを通じた場合に、最も効果的に働くだろう。
マスメディア上で「○○はこうなるだろう」と喧伝することで、少なからぬ人々が「○○がこうなる」ことを前提とした振る舞いをすることになる。
言い換えれば、「○○はこうなる」が既成事実化する。
さて、この既成事実化した流れに抗える人が一体どれだけいるだろうか?
これは逆に言えば、あることを実現したければ、それをいかに既成事実化するかに腐心すればよい、ということが言える(その一つの方途が「予言」である)。


つまり、予言の言語ゲームは、単に(予言が当たった場合に)「予言を当てた俺(私)ってスゴいぜ!」という自己満足をもたらすのみならず、予言の潜在機能(=権力作用)を用いることになるのだ。
さて、予言の言語ゲームを行う人は、この予言の権力作用を自覚的に用いているだろうか?


恐らく、少なからぬ人は自覚的に使っているだろう。
特に、マスメディア関係者は自覚しているだろう(予言的物言いが、現実を実際に動かしている、という実感をメディア関係者は有しているだろう)。
ブログやtwitterなど、ネットで予言的な物言いを垂れ流しているひとはどうだろうか?
多分、予言の無責任性(外れても責任を取る必要がない)&(予言が当たったときの)自己満足&(もっともらしい予言を行った場合の)賞賛が基底にあるだろうが、やはり言説の権力作用(言説が現実を作り上げる作用)にうすうす気付いているのではないだろうか?


というか、そもそも言説には権力作用がある。
当然、予言という言説にも同様に言説作用がある。
そして、予言の言語ゲームの特徴は、未来のことを客観的に述べる振りをして(つまり言説の権力作用を覆い隠して)、実際には権力作用を行使しようとしているところにあるだろう。
それは少なくとも誠実な権力作用の行使ではない。


最後に誠実さをもちだしたところが弱いかなぁ?
また別の切り口で考えてみたい。

コメント

これってどう思います?

「エリート主義の理想の追求とは、別な問題として、あまりにも欲望が大きいせいで、浮気の問題ともなりかねない」というオバマ大統領への未来予測が的中しそうだ。オバマ次期大統領の分析.3 http://j.mp/cD4YAC 「あなたってセクシー!」にオバマ大統領赤面 http://j.mp/8ZtWU1

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