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2024-04

疑似科学批判考(2)

さて、前回のエントリーは疑似科学の定義(らしきもの)を書いた。終わり方は若干尻切れトンボの感はあるが、それは気にしない。
定義を再度提示する。

疑似科学:疑似科学:科学の装いを有しているが(あるいは科学的権威を活用するが)、科学的方法によって真偽を明らかに出来ない(あるいは明らかにすることを拒絶する)言説を有する理論体系

優生思想(リンク先は優生学)がその代表とされ、カルト宗教と呼ばれる新興宗教の多くは、その教義に疑似科学的性質を有している(と思われる)。ポパー(哲学者)にとっては、精神分析な言説も「反証不可能」な命題を含む、として批判の対象であった。ブログ界隈では、とあるブログが、「水からの伝言」という疑似科学的言説に言及したブログを批判したことをきっかけに、(主に)左派、リベラル派と呼ばれるブログ内で、一大騒動が起こったことが有名(一般には「水伝騒動」と呼ばれる)。

最後の一文はパロディ的なものですが・・・。

さて、疑似科学の定義がこのようになされるとして(言い換えれば、疑似科学の本質がこのように抽出されるとして)議論を進めよう。

確かに、(疑似科学の代表選手である)優生思想は論理必然的に、良くて人種差別や障害者差別などの各種差別、悪くすると大量虐殺、断種へと結びつく。
それゆえ、優生思想的なネトウヨ・2ちゃん・石原(慎太郎)的、「中国・韓国・朝鮮憎し」的な言辞(というか放言)は批判されなければならない(まあ、これらは科学的装いすらなく、それ故疑似科学的ですらないが)。

しかし、あらゆる疑似科学が優生思想的な中核を有しているわけではない。
人間に大きな災厄をもたらし得る優生思想が疑似科学であるが故に、あらゆる疑似科学は批判しなければならない、と考えるなら、それは明確な論理的誤謬である。
それは、現代科学の一つの頂点である物理学が原爆という災厄を招いたがゆえに、科学全般を批判しなければならない、と考えるのと同じことである(これに対して、原爆を落としたのは政治(家)であって、科学ではない、という反論が当然想定されるが、とりあえずここではそれに対して反論しない)。

だとしたら、疑似科学である、というだけでそれを批判することは正しいことか?
正しいとしたら、それはどういう根拠、あるいは理由故か?
「疑似科学批判派」はこの問いに答えなければならない。

今回もやや(?)短めになりましたが、マメな更新を優先したいので(と言い訳)。

疑似科学批判考関連エントリーはこちらから。

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