戦略的思考(3) 短絡的思考と感情について
えー、現在『戦略的思考の技術』という本を読んでいます。
ゲーム理論的な観点から戦略的思考を論じています。で、これが正統な(?)戦略的思考なのだと思いますが、僕は別の観点から論じたいと思っています。
という訳でもないのですが、ほったらかしのシリーズ更新です。
といいましても、何らかの見通しを立てて始めたシリーズではないので、言いっ放し的エントリーの予感大ですが…
取り敢えず、これまでのエントリーです。
戦略的な思考(1)
戦略的な思考(2)
本エントリーでは、(2)と同様に、戦略的思考に直接言及するのではなく、戦略的思考と対極的な短絡的思考をいかに回避するか、に力点を置いて述べたいと思う。
キーワードは感情の相対化になります。
参考エントリーはコチラから。
それで、短絡的思考(近視眼的思考と言い換えてもいいと思いますが)についてですが。
ある出来事が起こって、それに感情が反応する。
その感情の反応に従おうとすることを短絡的と言っていいと思います。
そして、そこに見える思考(らしきもの)を短絡的思考と呼びましょう(実際には短絡的思考は思考と呼べる代物ではありませんが、戦略的思考と対比するためにあえてこう呼びます)。
進化学的に言うと、感情は生物へ特定の行動を取るように促すものです(恐怖は逃走へ、怒りは闘争へ)。
で、なぜそのような行動を取るようになったかといえば、そのような行動が適応的であったからです。
それゆえ、そのような行動へと生体を促すような感情をもつに至ったわけです(より正確に言うと、そのような感情を持つ生体の生存する確率が高かったがゆえに、多くの生体がそのような感情を有する)。
つまり、そもそも感情は、短絡的に行動へと結びつけられていたわけです。
もちろん、それには理由があります。
進化の過程の大部分において、人間は外敵にさらされ、今を生き延びる人間が結果的に生存する確率が高い。つまりは短絡的に利得を極大化、危険を極小化する(以降二つまとめて利得の極大化とする)のが生存のポイントであったわけです。
つまり、人間の感情は、短期的な利得を極大化するようにインストールされている。
要するに、進化の大部分の過程においては、長期的な利得を犠牲にしても(というより長期的な視座が入り込む余地はなかった、と言うほうが正確だが)、短期的な利得を極大化することが生き延びる上で重要であり、つまりは戦略的思考の入り込む余地はほとんどなかった、と言ってよい。
しかしながら、人間はその生存環境を徐々に改善し、短期的な利得や危機回避にこだわらなくても、長期に生存可能になってきた。
とすれば、私たちは、より長期で、より多角的な視点から物事の良し悪しを判断する方が良いだろう(短期的な利得の極大化が長期的な利得を保証するわけではないのだから)。その上で、選択をすればよいのだ。
さて、感情に短絡的に反応して行動するのではなく(短絡的思考によるのではなく)、より長期的、多角的視点から物事の良し悪しを判断し、選択を行うことを戦略的思考(あるいは戦略的思考による行動)と呼ぶことにしよう。
では戦略的思考を行う上で、最も重要なポイントは何か。
私見によればそれが感情の相対化ということになる。
先に述べたように、生物はまず目先の利益を極大化しなければ生存できなかった。
そして、目先の利益を極大化するための生体に備わったメカニズムが感情であった。
それゆえ、先ずは人間が感情に従ってしまうのは、故ないことではない(感情を相対化するためにはある種のトレーニングが必要となる)。
しかしながら、先ほども述べたように、短期的な利益の極大化が長期的な利益の持続を保証するわけでもない(むしろ、短期的な利益の極大化は長期的には損失をもたらすことが多いだろう)。
それゆえ、もし人が刹那的な一瞬の快楽に溺れたいのでなければ、感情に従うことが長期的にはどのような効果をもたらすのかを、少し冷静に考えた方がよい(それが感情の相対化に他ならないのだが)。
幸いなことに(あるいは残念なことにと言うべきか?)、ネット上にはネトウヨを始めとして、感情の奴隷とでも表現するべき、感情の赴くままに放言を重ねる人々が少なからず存在する。
それを他山の石として、感情の相対化の重要性を人々が認識することができるなら、ネトウヨ(に限らないが)も少しはネット社会の役に立っていると言えるのかもしれない。
ま、ちょっと(?)偉そうですが…
ともあれ、長期的、多角的視座に立つ戦略的思考においては、感情の相対化が重要であることが示せたと思う(感情を相対化できなければ短絡的思考に陥るほかはない)。
次のエントリーでは、もう少し具体例を挙げつつ、短絡的思考と感情の関係、及び短絡的思考が長期的には損失をもたらし得ることを述べようと思う。
本日の動画
代表的ハードロックグループDeep Purpleの代表曲「Burn」です。 まず、Deep Purpleによる演奏です。
次は、Mr. Bigによるinstrumental versionです。
ゲーム理論的な観点から戦略的思考を論じています。で、これが正統な(?)戦略的思考なのだと思いますが、僕は別の観点から論じたいと思っています。
という訳でもないのですが、ほったらかしのシリーズ更新です。
といいましても、何らかの見通しを立てて始めたシリーズではないので、言いっ放し的エントリーの予感大ですが…
取り敢えず、これまでのエントリーです。
戦略的な思考(1)
戦略的な思考(2)
本エントリーでは、(2)と同様に、戦略的思考に直接言及するのではなく、戦略的思考と対極的な短絡的思考をいかに回避するか、に力点を置いて述べたいと思う。
キーワードは感情の相対化になります。
参考エントリーはコチラから。
それで、短絡的思考(近視眼的思考と言い換えてもいいと思いますが)についてですが。
ある出来事が起こって、それに感情が反応する。
その感情の反応に従おうとすることを短絡的と言っていいと思います。
そして、そこに見える思考(らしきもの)を短絡的思考と呼びましょう(実際には短絡的思考は思考と呼べる代物ではありませんが、戦略的思考と対比するためにあえてこう呼びます)。
進化学的に言うと、感情は生物へ特定の行動を取るように促すものです(恐怖は逃走へ、怒りは闘争へ)。
で、なぜそのような行動を取るようになったかといえば、そのような行動が適応的であったからです。
それゆえ、そのような行動へと生体を促すような感情をもつに至ったわけです(より正確に言うと、そのような感情を持つ生体の生存する確率が高かったがゆえに、多くの生体がそのような感情を有する)。
つまり、そもそも感情は、短絡的に行動へと結びつけられていたわけです。
もちろん、それには理由があります。
進化の過程の大部分において、人間は外敵にさらされ、今を生き延びる人間が結果的に生存する確率が高い。つまりは短絡的に利得を極大化、危険を極小化する(以降二つまとめて利得の極大化とする)のが生存のポイントであったわけです。
つまり、人間の感情は、短期的な利得を極大化するようにインストールされている。
要するに、進化の大部分の過程においては、長期的な利得を犠牲にしても(というより長期的な視座が入り込む余地はなかった、と言うほうが正確だが)、短期的な利得を極大化することが生き延びる上で重要であり、つまりは戦略的思考の入り込む余地はほとんどなかった、と言ってよい。
しかしながら、人間はその生存環境を徐々に改善し、短期的な利得や危機回避にこだわらなくても、長期に生存可能になってきた。
とすれば、私たちは、より長期で、より多角的な視点から物事の良し悪しを判断する方が良いだろう(短期的な利得の極大化が長期的な利得を保証するわけではないのだから)。その上で、選択をすればよいのだ。
さて、感情に短絡的に反応して行動するのではなく(短絡的思考によるのではなく)、より長期的、多角的視点から物事の良し悪しを判断し、選択を行うことを戦略的思考(あるいは戦略的思考による行動)と呼ぶことにしよう。
では戦略的思考を行う上で、最も重要なポイントは何か。
私見によればそれが感情の相対化ということになる。
先に述べたように、生物はまず目先の利益を極大化しなければ生存できなかった。
そして、目先の利益を極大化するための生体に備わったメカニズムが感情であった。
それゆえ、先ずは人間が感情に従ってしまうのは、故ないことではない(感情を相対化するためにはある種のトレーニングが必要となる)。
しかしながら、先ほども述べたように、短期的な利益の極大化が長期的な利益の持続を保証するわけでもない(むしろ、短期的な利益の極大化は長期的には損失をもたらすことが多いだろう)。
それゆえ、もし人が刹那的な一瞬の快楽に溺れたいのでなければ、感情に従うことが長期的にはどのような効果をもたらすのかを、少し冷静に考えた方がよい(それが感情の相対化に他ならないのだが)。
幸いなことに(あるいは残念なことにと言うべきか?)、ネット上にはネトウヨを始めとして、感情の奴隷とでも表現するべき、感情の赴くままに放言を重ねる人々が少なからず存在する。
それを他山の石として、感情の相対化の重要性を人々が認識することができるなら、ネトウヨ(に限らないが)も少しはネット社会の役に立っていると言えるのかもしれない。
ま、ちょっと(?)偉そうですが…
ともあれ、長期的、多角的視座に立つ戦略的思考においては、感情の相対化が重要であることが示せたと思う(感情を相対化できなければ短絡的思考に陥るほかはない)。
次のエントリーでは、もう少し具体例を挙げつつ、短絡的思考と感情の関係、及び短絡的思考が長期的には損失をもたらし得ることを述べようと思う。
本日の動画
代表的ハードロックグループDeep Purpleの代表曲「Burn」です。 まず、Deep Purpleによる演奏です。
次は、Mr. Bigによるinstrumental versionです。
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