2009-11

感情の相対化について

ブログを始めて、早いもので半年が経ちました(正確には8か月ですが切りが悪いので)。
まあ、きっかけはブログ界隈に生じたとある騒動だったわけですが、曲がりなりにも半年間続いてきたのも、僕なりに社会に対して(というと大げさだが)言いたいことがあったのだろう。
ブログに対する反応があるのも嬉しいし。
そして、このように社会に対して(影響は無きに等しいものだとしても)発言できる場をあらゆる人々に対して提供し得るネット社会というものを、やはり僕は肯定的に捉えたいと思う。
それが半年経っても変わらない素直な感想である。

もちろん、ネット社会には問題点が山積している。
ネット規制、それと通じる話だが、ネットを通じた監視社会化、あるいはネットの特性が色濃く表れた問題として、検索エンジン問題(検索サイトの恣意によって情報が取捨される)など。
ややアカデミックな表現をすれば、アーキテクチャーが不可視化されるがゆえに、そのアーキテクチャーに関わる人間の恣意がダイレクトに反映されてしまいがちである、ということである。
もちろん、これはネット特有の問題ではない。
しかし、ネットにはこの問題が象徴的に表れている。
ともあれ、ネットにも他の社会的事柄と同様に、多くの問題が横たわっていることは間違いないだろう。

まあ、それはそれとして。
曲がりなりにも半年間、ブログ主としてネットでの発言が続けられてきた理由というか動機を自分なりに反省してみた。

その一つがタイトルの「感情の相対化」ではないかな、と思ったわけである。
そこを少し述べてみようと思う。

ネットに参入したての頃から感じていたのだが、また、普段の生活においてもしばしば感じることなのだが、私たち日本人はあまりにも自らの感情に従順すぎるのではないだろうか?
いかにも素朴で、感情的な意見がしばしば見られる。

別にそのことを批判するつもりもないし、そのような素朴さは僕自身も嫌いではないのだが。
しかし、単純な感情の発露(しばしば感情論と言われる)が人を動かすことはそれほどないし、感情的な賛同、反発は得られることはあっても、建設的・生産的な意見交換にはなりにくい(感情的なやり取りに終始する場面にはウンザリするほど出くわしてきた)。
したがって、もし私たちがネットやリアルの社会において、建設的・生産的な意見交換をしたいのであれば、できるだけ感情的な部分を抑えたやりとりをしなければならない(だろう)。
僕の理解では、感情の抑制はある種の技術に属する事柄なのだが、しかし、私たち日本人はそのようなトレーニングをほとんど受ける機会がない(したがって、感情的なやり取りに終始してしまうことも故なきことではない)。

まあ感情は、私たちの遺伝子にもがっちり組み込まれた生物としての基本的性質ではあるのだが、しかし、私たち人間は理性という他の動物では見られない特性も手に入れた。
ただし、ここで強調したいのは、感情と理性は(しばしば考えられているようには)必ずしも対立する性質ではない、ということだ。
確かに、理性は感情の単純な発露を抑えるように機能する。
しかし、理性すらも通常は感情によって駆動される(感情を失えば理性を適切に働かせることができなくなる)。
つまり(僕の理解では)、理性獲得の本質は、感情の単純な発露を(別の)感情により抑制する、ということにあるのだ。
そして、「感情の単純な発露を(別の)感情により抑制すること」が、「感情の相対化」に他ならない。
僕の理解によれば、そこでは「言語」が大きな役割を果たしているのだが。

しかし、「感情の相対化」は実際にはそう簡単ではない。
私たちは自らの感情を「自然」で、したがって「良いもの」と見做している(多分)。
それゆえ、自らの感情に対立するものを、通常は「好ましくないもの」、「避けるべきもの」、もっと言えば「忌むべきもの」として「感情的に」退ける。
したがって、単に感情に感情をぶつけるだけでは、感情的な応酬で終わってしまう。
つまり、「感情の相対化」のためには、「戦略」が必要となる(戦略的思考)。

それを簡単に述べてみる。
まず、「感情の相対化」のためには、「感情の葛藤(コンフリクト)」を起こす必要がある。
というのも、一般に「葛藤(コンフリクト)」がなければ、物事はそのまま温存され、相対化される契機を持たないのであるから。言いかえれば、問題が認識されるのは、人がそこに葛藤(コンフリクト)を見出すからである。
しかし、先にも述べたように、「感情の葛藤(コンフリクト)」は、感情的な反発を招く。
しかし、「感情の相対化」において「感情の葛藤(コンフリクト)」が不可欠だとするなら(僕はそう考えている)、「感情の葛藤(コンフリクト)」を惹起しつつも感情的な反発をいかに抑えるか。
そこに「感情の相対化」の戦略が求められる。

随分と抽象的な話をしてしまいました。
僕なりに、ネットやメディアやリアル社会で人間観察をして、「感情の相対化」が社会を変えていく上で一つの重要な方向性なのかな、と思うところもあり、少しこのテーマも散発的になるだろうが繰り返し取り上げていきたいと思う。

参考文献
『人はなぜ感じるのか?』:感情の成り立ちを、進化生物学的な視点から、すなわち感情を有することが生物の進化の上でいかに重要な役割を果たしたか、という観点から論じている。これも「感情の相対化」のための有効な戦略だと思う。

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