2009-11

妄想じみた覚書(2) 天皇制

12/24追記あり

喜八ログで天皇制について触れられていた(というより天皇制に言及する土井たか子について書かれていた、というべきだが)。

というわけでもないのだが、僕の現時点の天皇制に対するスタンスを書いておこうと思う。
まあ、「quine10の天皇論なんざ興味ない」という人が大半だろうし、正直引いてしまう人が多いだろうと推察するのですが…

一昔前は天皇制廃止論者だったと思う(「テンノー制ハンターイ」とまでは叫びませんでしたが)。
しかし今の時点では、「まあ積極的に支持もしないが、存続もありかな」、という消極的存置派(という立場があるのか?)と自己規定している。
特定の人物を国家統合の象徴として崇め奉るメンタリティには正直ついていけない部分があるが、それをムキになって否定するのも大人げないかな、なんて(我ながら随分と大人になったものだ)。

ただ、積極的天皇制存置派にしろ、消極的天皇制存置派にしろ、それを言うのはあくまでも国民である私たちであるわけで。
言い換えれば、天皇制が存続するのは、天皇制を支持する国民のみならず、天皇であり続けてくれる天皇がいるからでありまして。
つまり、天皇制存置派は取り敢えず自分の意向を表明しているだけで、天皇である人物の意向は棚上げにしていると言えるわけであります。

何を言いたいかというと。
「仮に」天皇が「一抜けた」とおっしゃった場合に、天皇制は存続するのか?という疑問ですね。
天皇に「天皇を続けてもよい」というご意向がある限りにおいて、天皇制存置派は天皇制存続という自らの願望が叶えられるということなのでは?という疑問と言ってもいいのですが(消極的存置派の場合はそれほどの願望を有していないでしょうが)。

もっと言うと、「一抜けた」と天皇が言った時に、「それはなりません」と止める資格を有している人間はいるのか?という疑問でもあります。
資格を有している人間がいるとして、それは一体誰であろうか?
「あなたには天皇をやめる資格なんてないのだ、天皇を続けなさい!」と言える(言う資格を持つ)人物がこの日本にいるのだろうか?
いるとしたら誰だろう?首相か?皇族の誰かか?宮内庁の小役人か?
日本にいなければ外国にはいるのか?
どっかの国王か?アメリカ大統領か?
それとも日本国憲法が、天皇引退を禁じているのか?
誰もいないとしたら、「私やめます」で天皇は辞めてしまえるのか?
この辺りは突き詰めれば憲法の理念と天皇制という制度の両立困難さ、に行き当たると思われるがそこは追求しない。

もちろん、天皇に「一抜けた」ができるとして、その場合には継承権を有する人物を、小役人や政治家が持ち上げて何としても天皇に就かせようとするだろう(この国でウンザリするほど続けられてきた喜劇の一コマに過ぎない)。そうやって天皇制自体は存続するのだろう(多分)。別にそのことを否定するつもりもない。

多分、読者の方には大いに引かれたと思いますが、もう少し妄想を逞しくしてみたい。
昨日も触れたが、年の瀬を迎えて「派遣切り」により住むところすら失ってしまう人々が多く生み出されてしまった。
自治体や企業の中で、行き場を失った人の受け皿を用意しようとするところもあるようだ。
しかし、これらは本来政治(国政)が行う「べき」ことであるはずだが、すでに機能不全(脳死状態)に陥った自公政権には対処する気も能力もない

例えば、ここで天皇が、「私の財産をなげうってこれらの人々を救ってほしい」、と言った場合どうなるだろう?(そもそも天皇は自らの財を自由にできないのかもしれないが…)
天皇のご意向に反対して、「そんなバカな真似はやめなさい、彼らがのたれ死のうが自業自得なのだ」とたしなめるのだろうか?
あるいは、確か天皇は政治的な発言をしないことになっているようだから(今の天皇は割と政治的と思われる発言もするようだが)、端的に無視するのだろうか?
しかし、天皇が上記の発言をしたとして、それが政治問題であるかは微妙なところだと思う。
たとえば、天皇がもやいに財産の大部分を寄付したいとして、それを禁じる法的な根拠はあるのだろうか?

その昔(っつーか大昔)、仁徳天皇(だったか?)が町をあるいて、町民の釜戸から煙が立っていない(つまり、炊くほどの米もない)様子を見て、「米も炊けないほど民は困窮しているのか」と嘆いて財を民に分け与えたとか(でその結果、釜戸から煙が立つようになったとか)。うろ覚えですが。
12/24追記:wikipediaの仁徳天皇に該当しそうなエピソードを見つけたので引用しておきます。

人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった、と言う記紀の逸話に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来する。



妄想なので結論らしい結論はありませんが、あくまでも妄想なので、その辺勘違いなく。

コメント

天皇制はこの国の大切な一部

とわたしは思っています。
現在の世界中の君主の中で、日本の天皇家ほど自国の人々と社会に対して、強い責任感を感じて生活しているロイヤルファミリーは、存在しないのではないか?と思えるからです。
さもなければ、美智子様が失語症に苦しまれたり、陛下が体調を崩されることもなかったのではないか、と。
他者のことをそれだけ思える方々が、この国の中心におられるということが、かろうじて国民の自我の肥大をぎりぎりせき止めているとも言えるのではないでしょうか。
ある意味、過酷なお立場だとは思いながらも、その存在に敬意を払わずにはいられません。
雅子さまが、望んで嫁がれたとは、とても思えないのも確かではあります。
それでも、皇太子妃であられます以上、早く心身の健康を取り戻されるよう、かげながら祈っております。

その一方では、雅子さまの病は、世の中を見渡し、「わたしはこんな国民のために犠牲になっているのか、情けない・・・」という割り切れない想いではないだろうかと、恐れてもいるのですが。

naokoさん

>美智子様が失語症に苦しまれたり、陛下が体調を崩されることもなかったのではないか、と。

僕の解釈では、まさにこの辺りに「世間のチカラ」が象徴的に現れているんです。
つまり、天皇でさえも、世間には抗えないと。
というか、天皇制にこそ「世間のチカラ」がもっとも色濃く現れるのかもしれない。
この「世間のチカラ」から逃れるには、「一抜けた」するしかないのかな。

>ある意味、過酷なお立場だとは思いながらも、その存在に敬意を払わずにはいられません。

うーん…
天皇が籠の鳥で耐えていらっしゃる、というイメージが、国民一人一人に「私も耐えなきゃ」みたいに規範として機能してしまうとしたら、天皇にとっても国民にとっても不幸だと思えるのですが…
天皇が自我を発露することで、国民も「私たちも自由に振舞ってよいのだ」と思えるとしたら、象徴天皇制にもそれなりの意義はあるのかなと。

やっぱり僕は天皇制を敵視しすぎているかもしれませんね。

カラマーゾフの大審問官?

あるいは、ル・ヴィンの『オメラスから歩み去る人々』のテーマでもありますね。
とは言っても、‘日本(の現状)から(心理的に)歩み去る…’としても、ではかわってどのような実現可能なヴィジョンを抱きうるのか?という点で、わたしは現行の象徴天皇制に替わる実現可能な、より良い日本社会像をイメージできないのです。

そして、天皇陛下がより‘自由に振舞う’ということが、たとえば課せられた責任を放棄するという意味なら、それがこの国の国民に良い影響を与えるとはとても思えないのです。
もっとも、宮内庁の旧弊を打破するという意味で、‘もっと自由に振舞われる’というのなら望ましいことだとは思うのですが…。

私たちの税金半分が皇室にわたっていると聞いています。
一抜けたは、いくらなんでのもないでしょ

naokoさん

えーっと、僕はいわゆる文学作品はほとんど読んでいないのでなんとも…
ドストエフスキーも、最後まで読んだのは『罪と罰』だけなんです。

>とは言っても、‘日本(の現状)から(心理的に)歩み去る…’としても、ではかわってどのような実現可能なヴィジョンを抱きうるのか?という点で、わたしは現行の象徴天皇制に替わる実現可能な、より良い日本社会像をイメージできないのです。

そうですねぇ…
僕もオルタナティブなアイデアがあるわけではないんですが(だから消極的存置派であるわけでもあるのですが)。
天皇はある種の文化的な象徴として、(寄付などを含め)支持したい人が支持すればいいのではないかと。
その後の日本がどうなるかは…

>そして、天皇陛下がより‘自由に振舞う’ということが、たとえば課せられた責任を放棄するという意味なら、それがこの国の国民に良い影響を与えるとはとても思えないのです。

僕の疑問は、天皇の「課せられた責任」とは何か?それは、誰に課せられ(誰が課し)、その根拠は何か?、といったことなどです。

名無し様

コメントどうもです。
まず、出来ればお名前を(名無しとか通りすがりではなく)を入れていただければと思います。

> 私たちの税金半分が皇室にわたっていると聞いています。
> 一抜けたは、いくらなんでのもないでしょ

税金を貰っているんだから文句をいうな、と?
税金で生活している身分でツベコベいうのは許されない、と?

天皇からすれば、「アンタらが勝手に祭り上げているんだろう」、ということかもしれません。
そのときに、なぜ私たちの言い分「税金を貰っておいて文句を言うな」だけが正当化されるのか?、ということなのです。

天皇の果たしている役割

それは、国民を心から「想う」ことでしょうか。
その「想い」は、わたしにはとても強く、また重く感じられるのですが…。

そして、そうした想いが通用しない人間が増えることを恐れてもいます。

天皇の「想い」ですか…

天皇の「想い」は僕にはわかりません。
でも、使い捨てにされる労働者への気遣いを表明されたように、国民に対する「想い」はお持ちなのかも知れません。
少なくとも自公政権の面々とは比べ物にならないくらいに。
しかし、籠の中の見世物に過ぎない天皇には、「想い」を実現する手段を端から奪われてしまっているのでしょう。
ひょっとしたら麻生首相を代表とする自公政権の面々は、天皇の言葉を心の底では嘲笑っているのかも知れませんね。

さてさて

あざ笑う人もいれば、心に刻む人もいる。
そういうことでしょう。
籠の中の見世物といえば、美空ひばりさんが、生前、皇后陛下のお写真をいつも拝んでいらっしゃったというのは、印象的です。(象徴的でもあるかも・笑)

現実世界の中で、一人ひとりのちっぽけな人間は、みな運命と言う名の籠の鳥のようなものやもしれませぬ。

ということで、長々お邪魔しましたが、このへんで。
quine10さん、良いお年を!

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