2009-07

オタク社会論 introduction

追記:若干の追記と修正があります

世界的な株価下落を受けて、特に輸出で利益を上げる大企業の「派遣切り」の嵐が吹き荒れているようですね。ソニーの社長辺りは、雇用よりも株主優先、などと公言しているらしいですね。
雇用問題どうする、というのは実際切実な問題であるし、派遣労働規制緩和など(輸出によって利益を上げる)大企業優遇政策がその背景にあり、それは間違いなく新自由主義を推し進めた小泉・竹中政権の負の遺産と呼べるもので、麻生政権が小泉・竹中政策を否定するわけでない以上、自公政権が続く限りは派遣問題を代表とする雇用問題が解決される目処も立たないわけで。

僕としてはだからベーシックインカムを、としつこく言いたいわけなんですが。
左派がベーシックインカムスルーなのは、概念が知られていないのか、そんなの不可能と思われているのかどっちなんだろう?
追記:ここは二者択一ではないですね、ベーシックインカムは知っているが政策がダメダメという可能性もあるな(これが正解か?)
取り敢えず、当ブログのベーシックインカム関連エントリーと、ベーシックインカム考 七方ふさがり一方あかりというブログを参照。


さて、こちらのエントリーで、オタク社会というものに軽く触れました。
その時は大げさに論じるつもりはなかったのですが、コメント欄でnaokoさんから反応があり、少しマジに考えてみようと思う。
というわけでもないのだが、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』を読んでみた(まだ途中だが)。
2001年に出版された書で、オタクの没入する世界(アニメ、ゲームなど)を「オタク系文化」として、オタク系文化をシミュラークル、データベースといったキーワードで読み解いている。
デリダというポストモダン系の哲学者に関する書(『存在論的、郵便的』、未読)を出しているだけあって、ポストモダン的な話題も散りばめられている。というより、東氏によれば「オタク系文化」とはすぐれてポストモダン的現象と言えるわけだが。
それはさておき。

本題へ入る前にいくつか断り書きを。
この論考は、あくまでも「オタク社会」という社会のあり方に照準したものであって、いわゆるオタクがどのような行動様式を備えているか、という風にオタクという存在に照準したものではありません。したがって、上記の東氏の著書とはかなり異なる内容となるでしょう。
僕の理解では、オタク社会は、いわゆるオタクには限らず、(特に日本)社会のかなり広範囲に見られるあり方であり、いわゆるオタクとはその限られたジャンル(アニメ、ゲームなど)における存在に過ぎない。
宮台流に言えば、「社会とはコミュニケーションの総体」であり、特にこの論考は、「オタク社会」を「オタク的コミュニケーションによって特徴付けられるコミュニティー」という観点から論じていきたいと思う。

簡単に流れを予告しておくと、まずオタク社会を構成する「オタク的コミュニケーション」をどのように捉えているか、それを簡単に述べてみます。
で、そのような「オタク的コミュニケーション」によって構成される社会がどのような性質を帯びるか、そこも述べてみます。それと絡めて、ネットという媒体と、オタク的コミュニケーションの親和性を少し論じてみます。
で、具体的な社会現象にオタク社会の在り方をあてはめて論じてみます。

多分3〜4回のシリーズになると思われますが、例によって予告どおりにいくことはまず期待できないと思われます。



さて、本日の認知心理学講座(ちょっと長め)。
社会学者の大澤真幸氏と北田暁大氏の対談本『歴史の<はじまり>』を読了しました。ポストモダン思想を全身に浴びた理論社会学者二人による対談だけあって、思想マニアには垂涎の対談と思われます。ポストモダンならではの逆説的な表現がこれでもかと出てくるので、思想・哲学に慣れていない人にはちょっときついかも。しかしながら、慰安婦問題、歴史教育、ナショナリズム、北朝鮮問題などのアクチュアルな問題も語られており、内容的には満足できるんじゃないでしょうか?
その中で興味深いことが語られていたので、ちょっとそこから認知問題を考えてみます。
日本人は一般的に日本が好きなようです(この図書の中では9割の日本人が日本を好きらしい)。
ところが、「日本人は一般的に日本が好きだと思いますか?」という問いでは、この割合がガクンと下がるらしい。
つまり、「人々の信念や感情」と「人が他者に帰属させる信念や感情」の乖離(認知の歪み)が認められる。
これは、「あなたの周りでは治安が悪化してますか?」という問いに対する答え(大部分がNo)と「日本全体で治安が悪化していると思いますか?」という問いに対する答え(Yesの割合が多くなる)の乖離と同じかもしれない(ちょっと違うかも?)。

こう考えると、君が代・日の丸強制の実態が、少し違って見えるかもしれない。
つまり、(多くの人は日本を好きにも関わらず)「日本人一般が日本嫌い」と思い込むという「歪んだ認知」のために、君が代・日の丸強制に賛成する、という側面もあるかもしれない。
しかしながら、これは二つの意味で効果的効果がないどころか逆効果である。
一つは、(追記:認知的歪みのために)日本人一般の傾向(多くの日本人は日本好きである)ということを無視している点(これは逆効果というより無効)。
もう一つは、強制されることで本来好きであるものが、好きでなくなる、という点。
好きという感情は自発的であり、自発的であるがゆえに好きという感情が継続する。そこに強制が加わることで自発性が損なわれ、それゆえ好きという感情が損なわれる恐れが十分にある(ゆえに逆効果)。
これは内発的動機づけと外発的動機づけという観点からより詳細に論じることができるだろうが、それはまた別の機会に。

コメント

言語使用と肌感覚の乖離…。

オタク的コミュニケーションにおいて、もっとも気になるのは、この点です。
もっと言えば、言語による理解と、肌感覚による理解の間の極端な差異を、つねに埋めきれずにコミュニケーションがなされているような…。
言語によるキャッチボールの当意即妙と、肌感覚の拒絶が同時進行することに、わたしとしては強い違和感を感じることがあるのです。
当人達も、人としっくり交わりたいという欲求と、自我の檻から抜けられないことへのジレンマを抱えているのかな。

quine10さん、取り上げてくださってありがとう!
続き楽しみにしてます。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://quine10.blog43.fc2.com/tb.php/115-27e34912
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

プロフィール

Author:quine10
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード