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2024-04

疑似科学批判考(極私的雑感)

カテゴリー「疑似科学」は、疑似科学についてのエントリーと読み取られる恐れが多分にあると考え、「疑似科学批判考」にしました。
それに伴い、疑似科学批判のタイトルも疑似科学批判考に変更しました。
以上マイナーチェンジ報告でした。

さて、「疑似科学批判考」は当ブログの初期のメインテーマ(の一つ)でありました。
しかし、7月21日を最後にエントリーを上げておりません。
「書くことなくなったなぁ」というのが正直なところで、実際書く予定は特にありませんでした。
ただ、本日某ブログを読んで、フツフツと湧き上がるものがあったので、書き留めておこうと思います。
単発のエントリーになりますし、内容的にも非常に私的な雑感であり、どちらかというと覚書的な内容なのですが…



あと、本日よりエントリー末に認知心理学シリーズと題して、小話を散りばめて行こうと思います。
これも思いつきといえば思いつきなのですが、一応目的あってのものです。
私たちは、日頃様々なことを「考えながら」生活していますが、その「考える」ということが意外とわかっていないのではないか。
「考えたつもり」になっているだけではないか。
僕が当ブログで何度か取り上げた確証バイアスはその「考えたつもり」の代表的な事例なのですが。
というわけでもないですが、人間がその思考過程において、いかに「誤りやすいか(思考の罠にいかに陥りやすいか)」を実証的に研究してきた認知心理学の知見を紹介しつつ、思考の罠を避けるには何に気をつければいいか、を皆さんとともに考えてみたい。

ま、いつものことではありますが、いつまで続くかは定かではありませんが…

では、本日のお題へ。
あくまでも雑感の類ですが。
えー、とあるブログのコメント欄で疑似科学(ニセ科学?)の定義が話題になってました。
で、ある疑似科学批判派(と取り敢えずレッテル張りさせてもらいます)の人が、「あなたの言っていることは、周回遅れだ」だの「あなたのニセ科学についての認識はまるでなっていない」だのとおっしゃっていたのであります。

いやね、いいんですよ。
その昔、現代思想ブームなんてのがありました。
デリダだのバルトだのアルチュセールだのフーコーだのラカンだのクリステヴァだのボードリヤールだのetc…
いや、これらの哲学者や思想家がダメというのではないですよ(ほとんど読んでないですし)。
僕はいわゆる現代思想ブームにはチョイ(?)乗り遅れだったのですがね(それはどうでも良いですが)。
日本だと浅田彰の『構造と力』かな(これを『構造とか』と読んだ人もいたらしい)。
僕もほとんど読んじゃいないが、現代思想ブームとは、「いかに小難しい図書を読んで、さも分かった風な態度を取れるかゲーム」だったというとさすがに言い過ぎか?

なんと言うか、日本はオタク社会だとつくづく思う。
オタク社会というのは、「そのエッセンスだとか、本質的な部分というか、これだけは共有しなければならない、という部分を重視する」よりも、「先端的な、先鋭的な、より直截的に言えば枝葉末節に込み入った部分にこだわる(他者との差異化をいかに図るかにこだわる)」、という傾向のことを表している。
例えば、僕がしばしば感じるのは、「科学を一般人にも分かりやすく、しかも面白く書かれた図書は、圧倒的に翻訳書に多い」ということだ。
これはひょっとしたら偏見のなせる業なのかもしれないが…
もちろん、日本にも良質な一般書を書く専門家は数多くいる。
例えば、前回紹介した『行動経済学』はその一つだ。
しかし、日本の一般書・入門書の類は、なんというかお堅いのだなぁ…

ということで、やや(?)こじ付けの感はありますが、オタク社会においては、共有することよりも差異化することに力点が置かれがちになる。
例えば、それを象徴するのが、上記の疑似科学批判派による「周回遅れ」とか「まるでなってない」とかいった明らかに他者を見下す言説である。
2ちゃん辺りをかる~く眺めれば(あまりお勧めはしないが)、この手の言い回しは掃いて捨てるほど見つけることが出来るだろう。
政治系ブログもその例外ではない。
タイムリーなことに天木氏が人を「見下す事はいけない事だ」というエントリーを上げていらっしゃる。
タイトルがあまりにもベタな気はしますが。

ここまでは一般的な話をしてきました。ここからは疑似科学批判に焦点を絞って(絞り切れないかもしれませんが)。
疑似科学批判の目的はなんだろうか?
僕はマジに疑似科学批判にコミットしたことはないので想像になってしまうのですが、「人々が疑似科学的言説を見抜き、疑似科学を用いた詐欺などに騙されないこと」ではないだろうか?
あるいは、「人々が疑似科学(に限らないが)を鵜呑みにすることなく、健全な批判精神を持って物事を見、判断するようになること」ではないだろうか?
違うのだろうか?
それとも、「いかに洗練された(周回遅れでない)疑似科学の定義を編み出すか」にあるのだろうか?
あるいは、「洗練されていない(周回遅れの)科学の定義を持ち出す人に対して、『あんたの認識はなっておらん』と見下すこと」にあるのだろうか?

前二者であるなら、疑似科学批判は、あらゆる人が身につけることが望ましいだろう。
ということは、なるべく多くの人の間で共有可能な言説として、疑似科学批判が構築されなければならないだろう。
「周回遅れ」だの「まるでなってない」だのと見下すことは、その対極にある態度と言える。
疑似科学批判の目的が後二者であるなら、実に正しい態度だと言えるのかもしれないが…

まあ僕自身は、「批判的態度を養うのに、必ずしも疑似科学批判は必要ない(素材としては大いに使えるが)」という立場であり、しかもネットで見られる疑似科学叩きは、疑似科学志向を減らす上ではほとんど無効(ないよりマシ程度)と思っているので、「疑似科学批判はこうあるべし」などという意見もないのですが…(大きなお世話を承知で述べています)

「周回遅れ」だの「まるでなっていない」発言は、「疑似科学批判」批判を行うブログのコメント欄で見られたものです。
で、そのコメント欄には批判派がそれなりに顔を出していたようですが、件の発言をたしなめるようなコメントは皆無でした(むしろ同調するコメントだらけといったほうがよいくらいでした)。
ということは、疑似科学批判派は、揃いも揃って「いかに正しい疑似科学を定義するかが重要なのだ」とでも思っているのだろうか?

結論は疑似科学批判派が最終的に何を求めているのかよく分からん、ということでした。
別になんとしても分かりたい、というわけでもないのであえて尋ねませんでしたが。
まあ、これも手段の自己目的化の一象徴事例なのかもしれない。
手段であるはずの疑似科学批判が目的となってしまうと。

それを後押しするのがオタク社会なのかもしれない。
枝葉末節にこだわるあまりに、当初の目的を見失ってしまうというか…
やっぱりプラグマティックな思考が大事だと思いました。
以上、感想文でした。



さて、本日の認知心理学講座(偉そう?)

あなたはとある有名進学校の中学二年生の親です。
ある日、テストでvery goodな点数を取って帰ってきました。
あなたは嬉しくなって、子供を思いっきり褒めてあげました。
次のテストでは、特別良い点ではありませんでした。

また別の日、テストでbadな点数を取って帰ってきました。
あなたは怒り心頭に発し、子供をこっぴどく叱り付けました。
次のテストでは、点数は上がっていました。

さて、この経験からあなたは、「子供は褒めるとダメになる、叱ると伸びる(一般の日本人が持っていそうな教育観であるが)」、と結論付けてよいでしょうか?
理由とともに述べなさい。

回答編は次回のエントリーで。

コメント

私のことですよね?

 えーと、私のことですね。私は今回finalventさんに直接語りかけることを意識しました。finalventさん相手だったからこそのコメントです。ギャラリーはあまり意識していません。その結果、finalventさんとは最低限の相互理解に達したと思います(あくまで最低限ですけど)。

 私のコメントを「ニセ科学批判者がニセ科学批判批判に対してする行動」という一般論として扱われても困ります。そもそも私は「ニセ科学批判者」でありつつ、「ニセ科学批判批判者」でもありますし。

> 疑似科学批判の目的はなんだろうか?

 ニセ科学批判者の目的は人それぞれでしょう。私に関していえば、一番は「知識は正しい方が良い」という信念が行動として現れた結果です。

> 本日の認知心理学講座

 これだけでは情報不足のため結論は出せない。平均への回帰が考慮されていないのが致命的。

どうもはじめまして

コメントありがとうございます。

>えーと、私のことですね。

ざっと斜め読みしただけなので、「誰が」まで覚えているわけでもありませんが。
まあ、心当たりのある人に向けてってことですね。

僕としては、もはや各論に踏み込んで論じる意欲はないわけですが(だからこそぼやけさせて書いたというところもあるのですが)、せっかくコメントをいただいたので少し。

>一番は「知識は正しい方が良い」という信念が行動として現れた結果

まず、この信念がlets_skepticさんの信念として(疑う訳でもないのですが)、この信念は(多くの人の間で)共有される方がいいとお考えなのか?それともてんでバラバラでよいとお考えなのか?
さらには、共有される方がいいとして、現在ある疑似科学批判はその共有への望ましい(あるいは実効的な)やり方である、とlets_skepticさんはお考えなのか?

ま、ぶっちゃけて言うと、このあたりの疑問ですね、今回のエントリーの主旨は。
お答えいただければ幸いに思います。

認知心理学講座については後ほど。

では。

オタク社会!

お久しぶりです。
オタク社会…。
これ最近すごく感じていて、ちょっと掘り下げたいと思っていたところです。
quine10さんとその点の認識は近いかもしれません。
話題がずれそうなので、また今度(汗)!

naokoさん

久々のコメントをありがとうございます。
しかも、意外な(?)ところに。

オタク社会について述べようとすると、どうしても「日本文化特殊論」的になってしまいそうで、二の足を踏んでしまうのですが…
一般的な社会論として述べられそうな目処が立ったら、論じてみたいところなのです。
でも、難しいかなぁ。
また、コメントお願いしますね。

> この信念は(多くの人の間で)共有される方がいいとお考えなのか?それともてんでバラバラでよいとお考えなのか?

 共有された方がいいと考えています。もちろん強制なんかできませんし、するつもりもありませんけれど。

> 現在ある疑似科学批判はその共有への望ましい(あるいは実効的な)やり方である、とlets_skepticさんはお考えなのか?

 人によってアプローチの方法も方向性も表現方法も違うので、個別議論にならない限りはっきりとしたことは言えません。私は不適切だなぁと思ったことや、不適切な行動につながりそうな心理的要因について言及することに力を入れていますけれど。

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