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2010-11

自律的権力について

権力がいかに、社会を構成する個々人の思惑を超えて(思惑とは相対的に無関係に)、独自のロジックで作動するのか。
すなわち、権力はいかに自律性を有するのか(自律的に作動するのか)。
現代の権力論はそこを述べなければならないと思う。


しかし、当然自律的権力に懐疑的な人もいるだろう。
というのも、権力が発動するのは、具体的な個人(権力者)を通してでしかありえないから…
権力が具体的な個人を通して発動する以上、権力者のあり方次第で権力のあり方もガラリと変わる、というのジョーシキにマッチするでありましょう。
逆にいえば、そのようなジョーシキ的感覚ゆえに、安易な権力者バッシングが幅を利かせるのであろうが…


もちろん、権力を批判することは重要である。
それはもう、民主主義が成立するためには不可欠だとさえ言える。
しかし…
権力者バッシングは、権力批判とは似て非なるものである。
今日はそれについて詳細は述べませんが…
宮台流にいえば、権力者バッシングは「感情の表出(気分的にスッキリ)」以上のものではない。


さて、権力を、個々人の思惑とは独立に作動するもの(自律的なもの)、と考えるなら…
具体的に権力をどのように描くべきか…
本日は簡単に次のように述べておこう


権力とは…権力をめぐる人々の運動である


もちろん、これは定義する言葉が、定義の中に入っており、定義としては失格である。
ここで言いたいのは、権力とは既にある権力関係を前提にしつつ、展開される社会関係である、ということである。
言い換えれば、権力の再帰性を強調する定義(?)なのである。


権力が人々の動きを編成し、その結果社会に秩序が生まれる(その意味で、権力とは秩序形成するチカラであえる、とも言える)。
一端秩序が生まれれば、その秩序を前提として、人々が自らの振舞い方を決定する。
その結果、再び秩序が形成される。
「秩序形成力=権力」とすると…
秩序(権力作動の結果)が前提となって、権力が作動する。
これが先の、「権力とは権力をめぐる人々の運動である」、の意味である。


非常に抽象的に話をしてきましたが…
もう少し具体的な話を交えつつ、権力の自律性を論じていきたい。
とりあえず、一点だけ。
権力が自律的であるとしたら…
権力の作動の仕方には不可欠の要素がある
それは、権力は自己保存的に働く、ということである。
権力は、自ら(権力)を維持するように働く、ということだ。


そのあたりも含めて論じていきたい。
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