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2010-01

メディアの表現の使い分けについて

献金の出入りについて、帳簿への記載を怠った場合、二つの表現がメディアでは使われているように見受けられます。

・自民党の諸議員の場合………記載漏れ

・小沢氏の場合………不記載

印象としては、「記載漏れ」の場合は、「ついうっかり(故意ではない)」的なニュアンスが出ると思う。
「不記載」の場合は、「意図的に」というニュアンスを含むと思う。

つまり、「記載漏れ」の場合は、悪質性を薄めるような表現であり、「不記載」の場合は、悪質性を強調する表現である、と言えるのではないだろうか。


あるいは、誤って記載した場合も、二通りの表現を使い分けているように思われる。

・自民党議員の場合………記載ミス

・小沢氏の場合………虚偽記載

ま、これも上記と同様のことが言えるでしょう。
つまり、「記載ミス」は「ついうっかり(故意ではない)」で、悪質性を低める表現であり、一方「虚偽記載」は、(そもそも「虚偽」がそうだが)「意図的」であり、悪質性を強調する表現である、と言ってよいだろう。


外形的には同じ振る舞い(記載を怠った、記載を誤った)について、このように記述を変えるということは(当然、記者のみならずデスクを通しているはずだから)、そこには組織的な意図が働いているとは言えないだろうか?
恐らくは、プロパガンダにおいては、このようにニュアンスで印象を変える、ということが重視されるのでしょう。


しかし、メディアは中立公平を僭称する。
ならば、このような表現の使い分けは、中立公平という点からどのように説明し得るのだろうか?
この辺りをメディア関係者はキッチリ説明する必要があるのではないだろうか?
外形的には同じ振る舞いを、ニュアンスの異なる表現を使い分けることで印象を違えることは、印象操作という他ないわけだが、そうでないというのなら(あくまでも中立公平を主張するのであれば)、メディアはその使い分けの理由を説明できなければならないはずであります。


それとも、ある時期から「不記載」「虚偽記載」と表現するように社としての方針を変更したんだろうか?
今後も恐らく出てくる自民党議員の「政治資金規正法違反」がどのように表現されるのか、注視した方がいいのでしょうねぇ。
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