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2009-05

妥協と連帯 応用編 +α

少し時期を逸した感もありますが、鴻池氏がまたまたやってくれました。
本日は、鴻池官房副長官を狂わせたDNAと女の正体へのツッコミ

本人は「女癖の悪さはじいさんの代からのDNA」と、あっけらかんと語っている。


フム、女癖の悪さはDNAのせいであると(自分は何にも悪くないと)。
まぁ、「不倫が特定のDNAのによるものである」との発言がまともには取り合われない(だろう)ということを踏まえれば、自虐的な発言と受け取るのが「大人」なのでしょうが…
この発言に人の行為・性格などをDNAのせいにする(DNAに還元する)、という差別主義的な偏見を図らずも(?)露呈させている、と見るのは悪意的だろうか?
嫌韓・反中を顕(あらわ)にするネトウヨにも認められる、レイシスト的言辞と言い換えてもいいのだが。
「悪のDNA」とか「犯罪のDNA」みたいな、ナチスも真っ青の優生思想へとダイレクトに結びついている、と断じるのはさすがに言いすぎだろうか?

ちなみに、以前に取り上げた記事は道徳への懐疑の理由(ワケ) 番外編(やや下系?)になりますので、よかったら一読を。



ここからが本題になります。
以前、民主的社会の二つの態度 妥協と連帯というエントリーを挙げました。
本エントリーはその応用編という位置づけです。

このエントリーは要約すれば、民主的社会においては、数ある政治イシューに対して優先順位を付け(妥協)優先順位の高い政策の実現のためには、優先順位の相対的に低いイシューについては目をつぶる(連帯)ことが必要であること、を説きました。

当然のことながら、その優先順位は市民自らが熟慮の上決定し、それに対して他人がとやかく口出すべきではない、ということもまた民主的社会の満たすべき要件でありましょう。
もし特定の誰かが優先順位を勝手につけ、他のすべての人間もそれに従うべきだ、などと考える人がいるとしたら、その人は民主主義の何たるかをまるで理解していない、と断じて良いだろう(そういうのを全体主義といいます)。

さて、日本社会、特に左派において、優先順位の高いイシューに憲法問題があります。
当然のことながら左派における憲法問題とは、ほぼイコール護憲である(特に9条)。
そらもう教条主義的に、といっていいほど護憲である。
まぁ、別にそのことを悪いと言うつもりはない(教条主義は戦略的にはうまくない、とは思うが)。
その個人が個人的立場にとどまる限りは、まぁ教条主義的護憲だろうが、そのことに文句をつける筋合いはないだろう。
しかし、教条主義の場合は、そこにとどまらない(場合が多い)から教条主義なのである(のだが、本エントリーはここには踏み込まない)。

少し(?)ズレました。
いずれにしても、政治的イシューにおいて憲法問題は優先順位が高いだろう(それは間違いない)。
しかし、教条主義的な立場でなければ、必ずしも最優先課題ではない人もいるだろう。
つまり、護憲の立場であっても、改憲的な立場の人を支持する場合が絶対にないとは言えない(場合によっては、護憲よりも優先する課題があり得る)。
さて、そのような人がいた場合、その選択を批判するどんな資格があるだろう?
具体的に言えば、「護憲の立場でありながら、改憲派を支持するとはケシカラン」などと批判する資格を有するのは一体誰なのか?(もしいるとして、だが)

先にも述べたように、民主的社会においては、市民一人ひとりが自ら考え支持する人を決定する(そしてその考えは尊重される)。
「自分は護憲であり、絶対に護憲以外の人間は支持しない」という教条主義的立場もあろう(そのような立場も、当然尊重されるだろう)。
「自分は護憲だが、この選挙においては、より優先する課題のために改憲派のこの人に投票する」という人もいるかもしれない(このような立場もまた、同様に尊重される)。
どちらが立場として優れているかを決定する特権を有する人間は存在しない(いるなら誰かを教えてください)。

このことはまた次のように問えばよい。
「仮に二人のうちから一人を選ぶ場合に、二人とも改憲派である場合には護憲派は一体どうすればよいのか?」と。
教条主義的護憲派は、「そんな選挙は棄権しろ!」とエラッソウに言うのだろうか?
しかし、選挙権を有する市民に棄権しろと命じる人間は(もしいるとして、だが)、完全に反民主的人物と言ってよいだろう。
「各々の判断で投票すべし」なら、それは別に護憲派と改憲派が対立している選挙でも同様であろう(護憲派と改憲派が対立している場合には護憲派に入れなければならない、などというルールはないのだから)。

要するに、優先順位からすれば、護憲派が、護憲派ではなく改憲派へ投票する、ということはあり得ることだし、それに対して他者が(それが仮に護憲派であろうと)アレコレ文句を言うなら大きなお世話だし、もっと言えば僭越に過ぎるわけだ。
繰り返し言うなら、優先順位を決め、小異を捨てる場合、その決定は完全に個人の責任においてなされるべきであり、その決定は尊重されなければならない(それが民主的社会に他ならない)。
その民主社会の原則を踏み越えて、他者の決定にアレコレ文句をつけるとしたら、何様?って感じだ。


さて、少しわき道に逸れますが。
教条主義は分断操作の格好のターゲットになります(それが戦略的なまずさです)。
あらゆる政治的イシューの賛否について完全に一致する人はまずいないでしょう。
つまり、特定の人物を支持する場合、すべての政治的イシューに関して賛同していると言うことを意味しない。
支持している相手と立場が異なる(対立する)イシューが多分ある。
その場合に、その違いがクローズアップされ、「立場が違う人間を支持するなんておかしいじゃないか」とされれば、教条主義的人間は「立場の違う人間を支持するなんてケシカラン」とばかりにコロッと立場を変えてしまう(可能性が高い)。
場合によっては、一つのイシュー以外では同じ立場の人間に対しても、そのイシューに対する立場の違いだけから敵対してしまうかもしれません。

そのような格好のイシューが憲法問題だったりするわけですね。
ということで、護憲派の皆さん(特に教条主義的護憲派の方々)、敵の分断に惑わされぬよう戦略的に振舞われるのがよろしいかと(大きなお世話かな?)。

抽象的に書きすぎたかなぁ…
とあるブログのエントリーを念頭においてはいるのですが、リンクしていざこざを起こすのもなんなので、曖昧に書いちゃいました。
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