雑感
世襲制限、議連発足へ 自民・菅氏、5月連休明けにも
「親がやっているから俺も」という実に安直な(=国民のこの字も考えない)世襲殿様政治家を多く抱える自民党には世襲制限は決してできない(だろう)ということは、自民党に世襲制限ができないワケで述べました。
上杉氏によれば、世襲には相続税逃れの面もありそうだ。一部引用すると
民主党を含めた野党は、ここを突けば面白いと思う。
世襲制限に関してなら自民党内部を引っかき回せる(と思うぞ)。
いくら同じ自民党議員であっても、叩き上げで支持を広げてきた議員からすれば、何の苦労も知らず親からの地盤を引き継いで当選し、挙句の果ては大した能力もない(というか単なるバ○な)のに首相に祭り上げてもらえる世襲議員のことを快くは思えないだろう。
もっとも、叩き上げであっても、いざ自分が引退する時は子供に継がせようとするのだろうが…(「自分の子はかわいい」は自然感情ですから)
ともあれ、メディア・検察(を含む官僚)と一体となっての「小沢おろし」に対抗するには、野党も手段を選んではいられないと思う。
企業献金に関しては真っ向勝負になるだろうが(多分、企業献金を規制したい自民党議員はいないだろう)、世襲制限に関しては分断工作も排除すべきではないと思う。
なんと言うか、「野党は潔癖でなければならない」という何の根拠もない思い込みを、野党支持者は有しているようにも思われるが(特に共産党)、「民主主義の死」と「目的のためには手段を選ばず」が二者択一である場合、どちらを選ぶのだろう?
潔癖であることを選んだために民主主義を死に追いやるとすれば、そういう人たちは民主主義者とは絶対に言えないと思う。
上記の「潔癖さ」は「陰謀論に対する嫌悪感」と地続きのように思える。
そういう人たちには『日米同盟の正体 迷走する安全保障』から、次の文を贈りたいと思う。
現状を「民主主義の危機」と捉える人は、政権交代を第一の目標にしてもらいたいもんだと思う(市民の政治参加は民主主義あってのものである)。
民主主義の危機と認識しているかかわらず、政権交代など必要ないと考える人は、民主主義者ではないと断言できる。
話はガラッと変わって。
Hatenaでブログを始めたと述べました。
そこでのエントリーから面白い記事にたどり着きました(こういうエントリーが書きたいねぇ)。
血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ
血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ【蛇足】
内容には言及しません。
これを「ネタ」と取る人も、「結構本質を突いている」と取る人もいるでしょう(どちらの受け止め方が正しいのか、僕にはわかりませんが)。
いずれにしても、これをサラリと流せないとしたら、その方が疑似科学よりもよっぽど由々しきことだと思う(というのも、このエントリーは少なくとも疑似科学を擁護するものでは全くないので)。
この手のエントリーに粘着する人に対しては、「疑似科学批判が目的になっていませんか?」と一声かけてあげてもよいかも知れません。
本日は軽め(?)に。
以下、冒頭記事の転載
「親がやっているから俺も」という実に安直な(=国民のこの字も考えない)世襲殿様政治家を多く抱える自民党には世襲制限は決してできない(だろう)ということは、自民党に世襲制限ができないワケで述べました。
上杉氏によれば、世襲には相続税逃れの面もありそうだ。一部引用すると
世襲における最大の問題点は、親子同士で、政治資金管理団体を事実上、無税で相続してきたということだ。この問題の根は深い。市井の人々が、資金繰りに悩む中小零細企業の経営者が、代々継がれてきた自営業の店主が、相続税に頭を悩ませ、苦しんできたのに、政治家だけが「特権」的にその苦しみから逃れてきたのだ。(強調は引用者)
民主党を含めた野党は、ここを突けば面白いと思う。
世襲制限に関してなら自民党内部を引っかき回せる(と思うぞ)。
いくら同じ自民党議員であっても、叩き上げで支持を広げてきた議員からすれば、何の苦労も知らず親からの地盤を引き継いで当選し、挙句の果ては大した能力もない(というか単なるバ○な)のに首相に祭り上げてもらえる世襲議員のことを快くは思えないだろう。
もっとも、叩き上げであっても、いざ自分が引退する時は子供に継がせようとするのだろうが…(「自分の子はかわいい」は自然感情ですから)
ともあれ、メディア・検察(を含む官僚)と一体となっての「小沢おろし」に対抗するには、野党も手段を選んではいられないと思う。
企業献金に関しては真っ向勝負になるだろうが(多分、企業献金を規制したい自民党議員はいないだろう)、世襲制限に関しては分断工作も排除すべきではないと思う。
なんと言うか、「野党は潔癖でなければならない」という何の根拠もない思い込みを、野党支持者は有しているようにも思われるが(特に共産党)、「民主主義の死」と「目的のためには手段を選ばず」が二者択一である場合、どちらを選ぶのだろう?
潔癖であることを選んだために民主主義を死に追いやるとすれば、そういう人たちは民主主義者とは絶対に言えないと思う。
上記の「潔癖さ」は「陰謀論に対する嫌悪感」と地続きのように思える。
そういう人たちには『日米同盟の正体 迷走する安全保障』から、次の文を贈りたいと思う。
日本のどこに陰謀・謀を真剣に学んでいるところがあるだろう。官庁にない。大学にない。研究機関にもない。ときどき、いかがわしい書籍が出て陰謀論を解き、知識階級はますます陰謀論を馬鹿にして遠ざかる。日本に対して「謀」を仕掛ける国からすれば、日本人が陰謀論、謀を一笑に付して、知識層がそうした戦略に何の考慮も払わないことくらいありがたいことはない。(84ページ、強調は引用者)
現状を「民主主義の危機」と捉える人は、政権交代を第一の目標にしてもらいたいもんだと思う(市民の政治参加は民主主義あってのものである)。
民主主義の危機と認識しているかかわらず、政権交代など必要ないと考える人は、民主主義者ではないと断言できる。
話はガラッと変わって。
Hatenaでブログを始めたと述べました。
そこでのエントリーから面白い記事にたどり着きました(こういうエントリーが書きたいねぇ)。
血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ
血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ【蛇足】
内容には言及しません。
これを「ネタ」と取る人も、「結構本質を突いている」と取る人もいるでしょう(どちらの受け止め方が正しいのか、僕にはわかりませんが)。
いずれにしても、これをサラリと流せないとしたら、その方が疑似科学よりもよっぽど由々しきことだと思う(というのも、このエントリーは少なくとも疑似科学を擁護するものでは全くないので)。
この手のエントリーに粘着する人に対しては、「疑似科学批判が目的になっていませんか?」と一声かけてあげてもよいかも知れません。
本日は軽め(?)に。
以下、冒頭記事の転載
スポンサーサイト