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2009-02

行為と意図 あるいは心の在りか (1)

prologue

僕(私)にとってこのハンカチは「赤く」見えるのだが、本当に彼(彼女)にとっても「赤く」見えているのだろうか?
僕(私)にとって「赤く」見えるハンカチは、実は彼(彼女)にとっては「青く」見えていないのだろうか?
彼(彼女)は「痛い」と言っているが実は僕(私)ならば「痒い」と表現する感覚である、ということを自信を持って否定できるだろうか?
彼(彼女)は痛がっているが、それは振る舞いだけであり、実際に感じている感覚は「痒み」なのではないか?


ここから本編
ふと思った。
「最近戯れてないなぁ…」と。
「いやいやいやいや、それどころか思索もしてないですから!」(自己ツッコミ)。
一応ブログタイトル「思索日記(時々戯れ)」ですから、少し思索に戻ろうかな、なんて。
で、唐突ですが、「行為と意図」。
実は僕的には唐突でもないのですが。
というのも、社会というものを考えていく上で、「行為とは何か?」を考えることは不可欠だと思っているので。

以前に、こちらのエントリーの末尾で、「行為と意図の一意的結合の不可能性」ということを述べました。
本シリーズはそれをめぐる考察と言えるでしょう。

さて、以前に、「社会はコミュニケーションの総体である」という(多分)宮台真司流の定義を出したと思いますが(どのエントリーか失念)、それをもじって、「社会は行為の総体である」と言い換えてもよいだろう。
この意味は、「行為はコミュニケーションを介して初めて意味のあるものになる」ということであり、「コミュニケーションもまた一行為に他ならない」ということである。
ということで、行為を分析していくことはまた、社会を分析していくことになる。
オースティンとかサールについて述べようとしているわけではありませんので、念のため。

で、行為とは何か?
まず、辞書的な意味から確認してみる。
行為(Yahoo辞書より)

1 ある意思をもってするおこない。「親切な―」「慈善―」
2 哲学で、目的観念を伴う動機があり、思慮・選択によって意識的に行われる行動。
3 権利の得失・移転など法律上の効果を生じさせる原因となる意思活動。

[用法] 行為・行動――「君の行為(行動)は許せない」「軽率な行為(行動)は慎むこと」のように、単に「おこない」の意では相通じて用いられる。◇「行為」は個を動作の主体とする事柄に用いることが多く、「親切な行為」「職務上の行為」「会社の行為」などという。この場合、「行動」に置き換えることはできない。◇また、「行為」を「慈善行為」「寄付行為」のように一般的・抽象的な意味でも使うのに対して、「行動」は身体を動かしての具体的動作を表し、「行動を起こす」「不審な行動をする人物」などのように用いる。◇類義語に「おこない」があり、「日ごろの行い」「よくない行い」のように評価の対象とする意味を込めて用いられる。



人間の行動・振る舞いの内、(比較的明瞭な)意思を伴うもの(通常は目的や動機を有する)を行為と呼んで差支えないだろう。
まず、この定義に則って、行為を分析していきたい(この定義を裏切るものになるでしょうが)。
ただし、僕は「意思」ではなく「意図」を用いるのだが、ここには深い意味はなく、「意図」の方が個人的にしっくりくるというだけであり、「意思」に置き換えて理解してもらっても構わない。

さて、本シリーズでは、この行為と意図の絡み具合を解きほぐすことによって、行為のありようを明らかにしたい。
最終的には社会のありようを記述したい、という目論見なのですが。
ちょいと(?)風呂敷を広げ過ぎた感もありますが、乞うご期待ってことで(あまり期待されすぎても困りますが)。
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