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2024-02

国策判決?

あの…アクセスが何気に増えているのに、拍手が…
ま、いいんですがね。

先日も紹介しましたが、『売国者たちの末路』という副島隆彦氏との対談本(2009年6月28日のAmazonランキング8位、レビュー18件)を出された植草一秀氏の、2006年9月の痴漢事件の最高裁判決が出ましたね。

痴漢事件・植草被告の実刑確定へ 最高裁が上告棄却(by asahi.com)

ふーん…
つい先日、同様の痴漢事件の裁判で、最高裁が逆転無罪を出して、痴漢事件という立件の難しい事件での警察・検察の強引な取調べや、彼らの言うままに有罪判決を出しがちな裁判のあり方に批判が加えられたはずなのに…
しかも、どうやら植草一秀さんを有罪にした裁判長とは(by 反戦な家づくり)によれば、植草事件の裁判長(近藤崇晴氏)は、名倉教授に無罪判決を下したときの裁判官でもあるらしい。
ちなみに言えば、この近藤崇晴氏は「サンデー毎日」セクハラ癖報道、植草被告の上告棄却(by YOMIURI ONLINE)した裁判長でもあるらしいですね。

この一連の判決の流れを見ると、何らかの意図が隠れているような…(と言うと、「お前は陰謀論者だ!」とか言われそうですが)
事件の経緯については、2004年の品川の手鏡事件とともに、上記の対談本でも触れられています。
ネットでは、『AAA植草一秀氏を応援するブログAAA 』に詳しい。

ブログは大手メディアに比べ影響力は限られているとは言え、ブログ植草一秀の『知られざる真実』において精力的に現政権を鋭く批判し続ける植草氏の存在が、権力にとっては鬱陶しいだろうとは推測するのだが…

西松事件における小沢氏の公設秘書のいきなりの逮捕(しかも、政治資金規正法違反という微罪)、西松と全く同様の迂回献金を受け、しかも所轄大臣で強力な職務権限を有していた(それゆえに悪質性では遥かにタチの悪い)与謝野馨氏は一切スルーの検察の恣意的捜査(=国策捜査)が、国民の面前で晒された直後である。

短期間のうちに、同様の事件(証拠のほとんどない痴漢事件)で、同じ最高裁でここまで正反対の判決が出ることは極めて異例なんじゃないだろうか?
国策判決と言われても反論のしようがないような…
メディアはその辺の不整合をどう報道しているだろう?

あ、そうそう、産経は相変わらずスゴいですね。
植草被告の実刑確定へ(by MSN産経ニュース)の写真ね
ここまで露骨なネガティブ・キャンペーンすれば、却ってスガスガしいわ。
陰湿なネガキャンするその他メディアも、この産経の潔さを見習えっての。

植草氏命名の悪徳のペンタゴンの最後の悪あがきでしょうか?

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取り調べ可視化 森法務大臣の会見から

俺………………………………………………………………………………………乙

あ、こちらのエントリーで書き起こした、足利事件をめぐっての森法務大臣の会見ですけどね。

先日村野瀬玲奈の秘書課広報室さんをフラッと訪ねてみました。で、足利事件と飯塚事件から何を学ぶかでこれからの日本の裁判制度の質が決まる。 (裁判員制度、大丈夫とは言えない気がします... (18))というエントリーを読んだんですよね。

ええ、見つけましたよ、法務大臣閣議後記者会見の概要というリンクをね。
思わず、「俺の30分を返せ!」と心の中で叫んじゃいました。
このまま何もしないのも悔しいので、逐語ツッコミをしちゃいます(あっ、愚樵さんの偏向報道というエントリーのパクリでございます)。
取り調べの可視化について 足利事件の教訓で述べたこととはできるだけ重複しないようにしてと。

では、ツッコミ前に、森法務大臣の会見での発言(僕が書き起こしたもの)を再掲(注は略しています)。なお、上記リンク先とは若干異なります。

記者 ――菅家さん自身、やってもいない自白をしたと、そういう可能性も強まることになります。えー、供述を引き出す過程という意味でですね、現在可視化の法案も提出されていますけれども、こういった可視化との関連でですね、お考えというのはありますでしょうか。

森法務大臣 ――そこにおいてですね、被疑者の取調べの全面的な録音・録画を義務付けることについては、被疑者に供述を躊躇わせるとなるとともに、関係者のプライバシーに関わることを、お出しすることが困難になり、あの…(言いよどみあり)、取調べの機能を損ない、真相解明に支障をきたすというような重大な問題があると考えております。(中略?)各国においても、例えばあの、免責ですとか、司法取引、あるいはあの広範な通信傍受ですかとか、そういった様々なですね、捜査手段が組み合わせで、その、捜査が行われているわけでございまして、やはりそういった、その、捜査手段のですね、総合的な検討の中で、検討すべきことだろうという風に思っております。現時点においては、なかなか、あの、私どもとしては、容認する方向の検討というのはしにくい、というのは事実であります。



では、逐語ツッコミ開始。

被疑者に供述を躊躇わせる


はぁ?可視化があろうとなかろうと、供述をすれば、それが証拠となって裁判所に提出されるんじゃい!密室での取り調べによる供述が証拠採用されない、という条件のもとで初めて、可視化が供述を躊躇わせる根拠になるんだよ(で、その条件が満たされていない以上、上記の言い分は却下)。

関係者のプライバシーに関わることを、お出しすることが困難になり


関係者のプライバシーを含めてあることないこと散々リークしまくって(印象操作をして)おいて、何を今さら?
今まで(プライバシーに関わる情報を含め)守秘義務違反をした取調官を、一度でも処罰したことがあるのか?
関係者のプライバシーって、まさか検察のプライバシーとか言わないよね?
公人には公務に関わること(検察の取り調べ)に関してプライバシーはない、ってこと知らないとか言わないよね?

取調べの機能を損ない


密室のみが有する機能って、「悪いことをしてもバレない」以外に何があるの?

各国においても……免責ですとか、司法取引、あるいはあの広範な通信傍受ですかとか、……捜査手段が組み合わせで、捜査が行われているわけでございまして、……捜査手段のですね、総合的な検討の中で、検討すべきことだろうという風に思っております。


関係ないじゃん!
冤罪という人権侵害(権力犯罪)の温床となる密室での取り調べをどうするかという問題と、検察の捜査手段が限られている(からもっと権限をよこせ)という問題は、全く別問題じゃん!
今の質問は、足利事件(by wikipedia)や富山事件宇和島事件(by wikipedia)などの、虚偽の自白を強要する密室での取り調べをどうするか、という問題じゃん!
あっ、御殿場事件もその可能性が濃厚…っていうか、推定無罪原則に則って、物証皆無のこの事件に有罪判決が出せる裁判って何?(それでも僕らはやってない参考)。

というか、この程度のツッコミすらできない記者って何なんだ?

あと、法相が「捜査手段が限られている」とおっしゃる日本の刑事裁判の有罪率は99・9%ですね。
おとり捜査や盗聴や司法取引がバンバンやられてるアメリカですら、有罪率70%程度ですけど?
自称「捜査手段が限られて無力な日本の警察・検察」の有罪率が、莫大な権限を有するアメリカより遥かに高いってどういうこと?
おとり捜査や盗聴や司法取引よりもさらに絶大な権限(って拷問くらいしか思いつかんが)が、密室での取り調べにあるということかな?

それとも、アメリカのような腐敗して無能な警察・検察に比べて、日本の警察・検察が有能だと言いたいのかな?(莫大な権限を有するアメリカの有罪率70%<<権限が限られている日本の有罪率99.9%)
それとも、検察は無能だが、密室という違法行為をしてもバレない空間と、訴状通りに有罪判決を出してくれる裁判所のおかげで、その無能さがバレずに済んでいる、と言いたいのかな?

プロなら、これくらいはツッコンで欲しいけど…(こんなこと聞いたら出禁かな、東京新聞のように)

以上で逐語ツッコミは終わりです。

あと、取り調べ可視化に関しては、新党大地の鈴木宗男氏による質問も必見でしょう。
ムネオ日記の2009年6月11日の日記を参照。
衆議院テレビはコチラから。
この委員会での森法務大臣の答弁もツッコミどころ満載です。
皆さんも是非、ツッコミを入れてみてください。

裁判員シミュレーション +α

本日の一本目のエントリーは昨日分として数えてもらうとして。
では、本日のエントリー。


僕の尊敬する橋爪大三郎氏が、裁判員制度に関する著書(『裁判員の教科書』)を出されていたので、早速読んでみた。
裁判員関連図書の多くが法曹関係者による中で(もちろん、それは当然のことなのだが)、社会学者による書は異色だろう。
本書によって、法曹関係者とは別の視点から裁判員制度について眺めることができる(法曹関係者にとっては当たり前であっても、関係者以外からは自明でないことも多いだろう)。

本書の目的は本人の弁を借りるなら以下の通りである(ページより)。

著者である私は、法律の専門家ではない、自分も勉強しながら、しろうととして、この本を書いた。素人のアナタが、裁判員をやることになってびっくりして、当惑して、虚をつかれた感じがした、その穴を埋めるように、書いた。何より、自分の穴を埋めるように、慎重に丁寧に書いていった。


本書の構成は以下の通りである(-ページより抜粋)

第1章「刑事裁判は、どういうルールのゲームなのか」では、刑事裁判の仕組みの根本を、がっしりおさえてみた。
第2章「推定無罪とはなにか」では、どういう条件の下で被告が有罪とされるのか、詳しくのべた。
第3章「裁判員はちゃんと役目を果たせるか」では、実際の裁判の順序に従って、特に注意すべき点をのべた。
第4章「裁判員法はこれでよかったのか」では、いまの裁判員制度にまずい点があるのではないかと考えてみた。
第5章「裁判員制度で、日本の裁判はよくなるか」では、日本の刑事裁判の問題点と、日本社会の特徴についてのべてみた。



本エントリーでは内容にはあまり踏み込みませんが、二点だけ。

14ページより

刑事裁判で裁かれるのは、検察官である


これが本書の基本テーゼで、本書の中身はこの基本テーゼをめぐる考察になっていると言ってよいでしょう(詳しくは本書を是非ご一読を)。
裁判員関連図書で、このように言い切った本はないのではないでしょうか?(当然のことながら、全部に目を通したわけではないのですが…)

もう一点は、日本の裁判の有罪率99.9%についてですが、210ページより

どうしてこういうことになるのか。
日本の裁判官が、意地が悪くて、特に有罪の判決をじゃんじゃん出しているわけではありません。
その秘密は、検察官。検察官が、「確実に有罪と思われる容疑者」だけを、起訴しているのです。裏を返せば、有罪の証拠が今一つはっきりしない容疑者や、有罪か無罪かはっきりしない容疑者を、起訴しない。だから、有罪率が高くなる。ということは、起訴しないで、不起訴処分にした容疑者の仲にも、かなりたくさん真犯人が混じっているかもしれないのです。


橋爪さん、さすがにこれはまずいでしょ?
こんなのは検察の広報と言われてもしょうがないですよ?
これをマジに言っているとしたら、本書の価値を否定しているにも等しい(自分で自分の著書を否定するのか?)。
「この一文を入れなきゃ出さないよ」、と出版社に言われたとか?(さすがにそれはない…かな?)

いや、だってね、「『確実に有罪と思われる容疑者』だけ、を起訴している」のであれば、「裁判官や裁判員は思考停止的に、検察が起訴したものに有罪を出せばいい」、ということになってしまうからです(「検察の言うことには黙って従え!」と言っているに等しい)。
それは裁判の必要性を真っ向から否定するものでしょ?
『裁判員の教科書』の著者が裁判制度を否定してどうするの?と。

まぁ、モトケン氏のような元検察官という当事者が、このようなことを述べるのは良く分かる(→参考エントリー)。一部引用しますと、

裁判官の立場に立って事件を考えて、裁判官が間違いなく有罪にすると認められる事件だけ起訴しているということです。


このことが仮に正しいとしても(有罪率を見る限りは正しいと言わざるを得ない)、検察や警察の捜査能力や裁判官の証拠を吟味する能力とは全く関係がない(裁判官は検察官が起訴したものの殆ど全てにたいして有罪判決を下す、という事実を述べるに過ぎない)。
しかし、検察官(元を含め)はこのように言わざるを得ないのだろう(利害当事者としては)。

橋爪氏は検察とは利害関係を持たないはずだから(多分)、検察の言い分垂れ流し的な発言はしてほしくなかったなぁ…
まぁ、この部分さえ無視すれば、上記の図書を読む意義はあると思っています。

あと、被害者参加制度についても言及されています(そこは一読の価値があります)。
ちなみに当ブログでの被害者参加制度の関連エントリーはコチラ

裁判員制度についての参考図書を後二冊。
『アメリカ人弁護士が見た裁判員制度』(→参考エントリー
『自白の心理学』



ところで、裁判員は弁護士VS検察の弁論を見て、証拠を吟味して、被告人の有罪・無罪を決めなければならないのですが(当然、推定無罪原則に則って)、普段の生活ではなかなかそのような機会は持てないでしょう(裁判傍聴マニアでもない限り)。

そこで、弁護士VS検察の弁論のシミュレーションとしてお勧めしたいブログがございます。
それは、弁護士である小倉秀夫氏のla_causetteと元検察官のモトケン氏(=矢部善朗創価大学法科大学院教授)のモトケンブログのやり取りでございます。
ま、コメントはいたしません。
実際の裁判の討論とは違うとは思いますが、弁護士VS検察のシミュレーションとしてみることも可能でしょう(し、ひょっとしたら、そういう公共的な意義を意識しつつなされているのかもしれません)。

取り調べ可視化について 足利事件の教訓

6/11追記あり

えー、誓いを破った償い、というわけでもないですが、本日二本目のエントリーになります(一本目の内容があまりにも薄すぎる、ということもあるのですが)。

ビデオニュースの今週のマル激トークオンディマンドのニュースコメンタリー(視聴するためには月500円の会費を払う必要があります)で、足利事件について言及されています。
事件当時の精度の低いDNA鑑定で犯人と断定され、より精度の高まった鑑定法で再鑑定したところ無実が判明した事件です。
その事件の容疑者とされた菅家さんは、取調べにおいて(虚偽の)自白をし、その自白調書も有罪判決に大きな影響を与えたと思われます(もちろん、有罪判決を後押しする証拠として)。

より精度の高い鑑定法で犯人のものとされるDNAとの不一致を見たわけだから、菅家さんは実際には無実だったに違いないわけで、その自白が任意ではない、すなわち(拷問的な手段により)強要された(虚偽の)自白であった、ということが明らかになったわけです(あくまで任意だと言い張るとしたら、その人は「人は任意で自分がやってい犯罪についての(虚偽の)自白をするのだ」、というトンデモ信念(?)を有していることになります)。

もちろん、こちらのエントリーでも述べたように、取調べの過程において虚偽の自白を行うことは、決して珍しいことではない。
というか、無実の人間が虚偽の自白をせざるを得ない状況に追い込まれるのが、取調べという密室の空間なのである(この辺りはまた別エントリーで)。
より突っ込んで言えば、取調べが密室であるなら、そして裁判官が(たとえ密室で得たものであっても)自白を証拠として重視するなら(実際の裁判を見るかぎり自白偏重は明らかである)、どんな手段を使ってでも(それが拷問的な手段であっても)自白させようとするのが取調官の人情といえるでしょう(密室であっても拷問的な手段は用いない、という取調官の倫理に訴えても無意味であることが、足利事件で明らかになったわけです)。

そして、菅家さんは無実である(に違いない)わけだから、精度の低いDNA鑑定以外に菅家さんの犯行を立証する物証など皆無なわけで、ということは裁判官は、(密室の取調べで得られた)自白と精度の低いDNA鑑定のみで有罪判決を下した、ということになります(他の物証で、菅谷さんと犯行を結びつけるものは皆無なので)。

えー、推定無罪原則とは容疑者・被告人は有罪であると合理的な疑いなく証明されるまでは無罪と扱われなくてはならない、ということでしたので、精度の低いDNA鑑定以外の物証が菅家さんと犯行を結びつけることができない(=有罪であることに合理的な疑いが存在する)以上、有罪判決を下した裁判官は、物証を吟味する能力を有さないか、推定無罪原則を全く理解していない(=推定有罪原則に立っている)かのいずれかであり、いずれにしても裁判官としての資質を著しく欠くと言わざるを得ません。
その裁判官が、裁判員裁判では裁判員に説示をするのだが…(誘導になってしまう危険があるがゆえに評議もオープンにしなければならないのでは?)



それはそれとして。

先のニュースコメンタリーで森法務大臣の足利事件に関する会見の映像が見られるのですが、記者からの「取調べの全面可視化をするのか?」という質問に対して、森法務大臣は次のように答えています(重要なところを抜粋して再構成しています)。

「ビデオが取られると、被疑者に自白をためらう、関係者のプライバシーに関わることを出すことは困難(はっきり聞き取れず)、取り調べの機能を損ない、真相解明に支障をきたす(から可視化には反対)」


いや、もう啞然ですね。
ことは、(拷問的な手段による)自白の強要という人権侵害なのである(それが今回の足利事件のような冤罪事件を生み出す)。
したがって人権を重視するなら、すなわち(拷問的な手段によって)被疑者に(虚偽の)自白を強要することを回避したいのであれば、取調べを可視化することは当然であろう。
あくまで可視化に反対する森法務大臣(と警察・検察)が人権など屁とも思っていないことが明らかになるわけだ。

ビデオ・ボイスレコーダーが設置されるだけで、被疑者が自白をためらってしまう、と考える警察・検察の思考回路もちっとも理解できないが…(拷問以外に、密室の方が自白が進むと考える理由って何だ?)

それと同じ思考回路なのかもしれないが、可視化で真相解明が妨げられるというのも、僕からすればトンデモ以外の何物でもないのだが…
逆に言えば、密室でなければ真相は解明できないってことでしょう?
密室でのみ明らかにされる真相って何?
オープンにされることで棄損される真相って何?
フツーは、オープンにして様々な批判に晒して、それでも生き残ったものを真相と呼ぶでしょう。
つまり、真相を云々したいのであれば、むしろ情報を積極的にオープンにすべきとなるわけです(あくまでも密室にこだわることが、逆に捜査関係者が真相に全く関心を払っていないことを明らかにしているわけです)。

さらに、森法務大臣(の口を借りた法務官僚?)は次のように述べています(上と同様の再構成)。

「取調べの可視化は、通信傍受(=盗聴)、司法取引といった、捜査手段を総合的に検討して考えるべき(で、現在の日本は捜査手段が限られており、取調べ可視化を導入すべきではない)」


語るに落ちる、とはこのことですね。
この発言で森法務大臣は、取調べが不可視であることが、(おとり捜査や)盗聴、司法取引などの捜査手段に匹敵する力を有している、ということを吐露しているからです。
逆に言えば、取調べを可視化することで、つまり取調室にビデオやボイスレコーダーを設置するだけで、おとり捜査・盗聴・司法取引にも匹敵する権限が失われてしまうと(だから取調べを可視化するならそれらを導入しろと)。

これって捜査機関が、「オレ達、違法な取調べをしているぜ!だから取調べ可視化は困るんだぜ!」、「密室ゆえに好き勝手にできるんだから、それを取り上げるんなら、(密室の替わりになる)おとり捜査・盗聴・司法取引をくれ!」、と言っているに等しいと思うのだが…

民主党は取り調べ可視化を党是としているわけで、これだけでも政権交代を支持する理由になると僕は思うのだが…


6/11追記:コメント欄で、沼地さんから「恣意的な解釈ではないか?」というツッコミがありましたので、森法務大臣の会見を書き起こしました。沼地さんのツッコミの妥当性を皆さんにご判断頂ければ、と存じます。
では、以下に会見の書き起こしを記します。



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「自白偏重」と「捜査・裁判」の劣化について(3)

えー、自白の問題、第3弾です。
「自白偏重」と「捜査・裁判の劣化」について(1)
「自白偏重」と「捜査・裁判」の劣化について(2)+α
の続きになります。

さて、上記2エントリーでは日本社会では(当然、警察・検察・裁判所・メディアにおいても)「自白の神話」、即ち「自白すると刑罰を受けることが分かっているのだから、無実の人は(もしその人が合理的ならば)自白なんかするわけがない(=自白をするということは、キ○ガイか犯人であるに違いない)」という神話が広く共有されていると書きました。
実際には、「自白の神話」が維持された方が、権力(警察・検察・裁判所)にとって都合が良い面もあり(後日言及)、権力側が「自白の神話」を維持しようとする動機も有していると思われる(当然のことながらメディアにとっても都合がよい)。

しかし、「自白の神話」と表現したように、上記の信念には何の現実的な根拠も有さない。
そこを述べてみたい。

といっても、そんなに複雑な話をするわけでもありません。
中学生程度の論理的思考力があれば、こんな神話は簡単に解体できるはずなのだが…
にもかかわらず、「自白の神話」が蔓延っているということは(警察・検察・裁判所にも!)、日本社会では中学生程度の論理性すら欠如しているということか?
まぁ、疑似科学バッシングもいいけど、こっちの方がよっぽど問題じゃないっスかね?
ま、いいけど。

論の展開を簡潔にするために、「自白の神話」を次のように単純化してみましょう。
もし容疑者が自白すれば、その容疑者は犯人である(これの対偶が、容疑者が犯人でなければ、その容疑者は自白しない、となる)」
「容疑者が自白する」をA、「容疑者が犯人である」をBとすると、「自白の神話」は「AならばB(対偶はBでないならばAでない)」と定式化できる。
ちなみに、一般に命題はその対偶と論理的には同値である。

とすれば、「自白の神話」の否定の条件は簡単である。
「AであるのにBでない」、すなわち「犯行の自白をしたが犯人ではない」容疑者が一人でもいれば(すなわち冤罪)この神話は明確に否定できる。
それが反証ということである。

では、「AであるのにBでない」、すなわち「犯行の自白をしたが犯人ではない」実例はあるだろうか?
言いかえれば、「犯人ではないにも関わらず、自白をした(結果、刑に服した)」実例はあるだろうか?
当然あります。取り敢えず僕の知っている範囲で2例ですね。
一例は『自白の心理学』で取り上げられている宇和島事件(by wikipedia)、もう一例は富山事件(by wikipedia)ですね。

どちらも、事件の容疑者として逮捕され、取り調べにおいて自白して起訴され、後に真犯人が現れて無実が証明された事件です。
前者では真犯人の出現が幸いにも(?)判決が出る前であったが、後者では実刑判決を受け、出所後に冤罪が判明した。

この二例は、繰り返しになりますが、「犯人ではないにも関わらず、虚偽の自白によって逮捕・起訴された」実例である(うち一例は刑罰まで受けている)。
当然のことながら、犯人ではないわけだから、犯行と結びつく物証など皆無である。
にもかからわず、起訴されたのみならず(この時点で検察の無能が明らかとなる)、有罪判決まで受けた(裁判所が物証の吟味を一切行わず、自白のみで有罪判決を下したことが明らかとなる)。

そして、シリーズ(2)で述べたように、自白が偏重されれば偏重されるほど、魔女裁判に近づいていく…

しかし、「自白の神話」を明確に否定する二事件の存在にも関わらず(実際にはもっと多いだろう)、「自白の神話」はいまだ根強く蔓延っているようにも思われる。
一つは繰り返しになるが、その方が警察・検察・裁判所・メディアにとって都合がよい故に。
もう一つは、宇和島事件や富山事件が例外事象として無視されるが故に(「あれは自白した奴がアホなんだよ(フツーは自白しないんだよ)」という風に)。

「AならばB」という信念が、それを明確に否定する実例(AなのにBでない例)の存在にも関わらず維持される事態。
それはまさに、当ブログでも何度か取り上げた確証バイアスに支配されていると言えよう(確証バイアス(人間が陥りやすい思考の罠)参照)。
要は批判的思考の欠如である。

確証バイアスは、疑似科学とも関わるが、いま述べてきたように裁判や警察・検察の捜査にも(したがって、市民の人権にも)関わってくる問題である。
にもかかわらず、警察・検察のみならず、裁判所まで批判的思考を欠如させ、確証バイアスによって「自白をした人間は犯人である(犯人でなければ自白しない)」という誤った信念を維持している現実に直面すると、背筋が寒くなってしまう。

確証バイアスに支配された、自白偏重の捜査・裁判が続く限りは、宇和島事件や富山事件のような冤罪事件が今後も起こることを予防しえない
そして、裁判員として市民が関わる裁判員制度を前提とすれば、市民が直に冤罪を生み出す構造に巻き込まれていくことに他ならない(おまけに、裁判員制度の問題点は、守秘義務によって表に出にくくされている)。

超党派による裁判員制度の凍結・見直しの動きの行方には注視していきたい(しかし、この議連に共産党議員が一人も参加していないのは何故?共産党は裁判員制度には全面的に賛成なのか?)。

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