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2023-05

目的について

私たちは様々な目的を持って生活をしている。
その目的は、自覚的な場合もあれば、非自覚的な場合もあるだろう。
非自覚的な目的とは、他者から問われて初めて目的を意識するような場合である。
非自覚的な目的を本当に「目的」と呼んでいいかどうかについては議論の余地があろう。
しかし、事後的(=問われて初めて知覚するもの)にであれ、私たちが特定の目的を自覚できるのであれば、それは目的と呼んでよいだろう。


さて、あることが私(たち)にとって目的であるということは、私(たち)は余程の障害がない限り、そのことを達成しようとする、ということを含意する(大した努力も要さないのに、その達成を目指さないとしたら、そのようなものをそもそも目的とは呼ばないだろう)。


ここで、余程の障害の程度は、私(たち)がどの程度の強度の目的を有しているかどうか、にかかっている。
目的の強度が強ければ(私たちが目的を達成しようとする度合いが強ければ)、より大きな障害であっても、私たちは目的を達成しようとするだろう。
目的の強度が弱ければ、少しの障害であるだけで、その目的の達成をあきらめてしまうだろう。


目的は、その明瞭度にも度合いのグラデーションがあるだろう。
つまり、ある目的は私たちにとって、どのようにすれば達成可能か明瞭であるだろう。
逆に、目的は有しているが、どうすればその目的が達成できるのか、不明瞭な場合もあるだろう。
目的の明瞭度は、初めに述べた自覚的/非自覚的の区分にも似ている(が、また違いもある)。


もしも私たちが目的を達成したいのであれば、できるだけ明瞭な目的を持つことが望ましい。
明瞭な目的は、具体的にどのような手段が有効であるかを判断することを可能に(ないしは容易に)し、目的が達成できなかった場合に、手段がなぜ有効でなかったかを検証することを可能にする(そのことは、より効果的な目的達成のよい学習機会になるだろう)。


私たちの社会には様々な問題があり、多くの人はその問題を解決(ないし解消)するという目的を有している(ように見える)。
「ように見える」と述べたのは、その目的が不明瞭であり、従ってどのようにその目的を達成すればよいのか、目的を有している人自身に見えていないように思えてしまうからである。


不明瞭な目的は、どのように目的を達成するかがその目的を有する当人にもよく分からず、それゆえそもそもそのような目的が有されているのかもわからなくなってしまう(実質的に目的を有していない、と見做され得る)。


ということで、目的を有する場合の心がけ…


できるだけ明瞭な(=どのような手段を講じるのがその目的を効果的に達成できるかが明らかになるような)目的を有するべきであろう(本当にその目的を達成したいのであれば)。
しかし、このことは簡単ではない。
まずは自らが目的を有していることに自覚的であること。
できれば、その目的を明瞭に表現してみること。
さらには、その目的を達成するための手段を複数考案し、その有用性を比較検討してみること。
その上で、それらの手段を実行に移し、実際の有用性を検証してみること。
うまくいかなかった場合、その理由・要因についてできるだけ詳細に検討してみること。
以上の繰り返しによって、より有効な目的の設定(目的の明瞭化)が可能になるだろう。
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戦略的思考 菅政権試論

鳩山内閣末期20%前後→菅政権支持率60%?
いきなり3倍?マジで?
別に連立の枠組みが変わったわけでもないのに?
副総理、財務相として鳩山政権の中枢にいた(ということは内閣支持率低迷の責任の一端を負っているとも言える)菅氏に代わった途端に?
まだ、閣僚の顔ぶれが出揃う前なのに?(菅首相、仙石官房長官、枝野幹事長だけで支持率アップ?)


露骨な世論操作がなされていないとすると(官房機密費にドップリ浸かった大手メディアがなす世論調査では、その可能性が否定できないところが哀しいところだが)・・・
日本人の政治リテラシーの低さを表しているのか?(人のこと言える立場でもないのだが・・・)


取り敢えずの感想でした。


では本題へ。
先日のエントリーでは、鳩山政権の支持率低迷という状況における短期目標である、参院選勝利(大敗の回避)への戦略という観点から、鳩山氏小沢氏W辞任(+その後の菅氏の振る舞い)について論じました。
具体的には、鳩山氏が小沢氏に(「政治とカネ」の問題で)引導を渡す形での辞任、菅氏の小沢氏と距離を取る形での発言(「小沢氏は少し静かにしていたほうがよい」)、小沢色を控えた組閣・党人事などは、当人の思惑は別にして(さらにはその妥当性は別にして)、参院選勝利(大敗の回避)という観点からは戦略的だ、ということでした。
そして、そういう限定的条件下での戦略は、各プレイヤーの思惑とは独立して論じることができる(というか、各プレイヤーの思惑に焦点を当てる政局からは論じることができない)旨を論じました。


では、この戦略に各人の思惑を重ねてさらに考察を進めてみたいと思います。
ここでは、キープレイヤーを菅氏と小沢氏の二人に限定します(単純すぎるかもしれませんが、話を単純にするためです)。
さて、この代表交代劇での、菅氏と小沢氏の意思疎通に関しては、次の3つに分けることができます。


1.菅氏と小沢氏は予め示し合わせて(お互い納得の上で)振る舞っている
2.菅氏(と小沢氏)は、マジで権力闘争(小沢氏排除)をしている(長谷川幸洋氏の見解)
3.特別意思疎通はしていないが、結果として短期目標への戦略に適った振る舞いをしている(あるにしてもせいぜい阿吽の呼吸と呼べるもの)

若干補足すると、1は比較的明瞭ですが、2と3を明確に区別することはできないでしょう(2と3が変わり得ることも含めて)。
もう一点、他のプレイヤーについては考察しておりませんが、1の場合は、戦略上それを知り得るプレイヤーについては両者を含めた極々少数に限られる必要があるでしょう(示し合わせが外に漏れれば意味がなくなってしまう)。


ここでもう一度確認しておくと、先日のエントリーで考察したことは、上記の1-3という違いにも関わらず(つまり、政局観の違いにもか関わらず)、戦略上は似通ったものにな(り得)る、ということでした。


では、戦略上は一致する(似通ってくる)1-3の違いはどのように表れるというのでしょうか?
それは恐らく選挙後の展開として表れてくるでしょう。
それを考察する前に、選挙結果別にどのような状況が想定されるかを考えてみます。


a.民主党大勝利(単独過半数を大きく超える)
b.民主党単独または国民新党・民主党でなんとか過半数を超える
c.民主党敗北(政権維持のためには政界工作が必要)


a-cについて個別に少し考えて見ますと・・・
aでは菅氏のフリーハンドが最大限に発揮できる(言ってみれば、郵政選挙圧勝後の小泉氏)
bの場合は党内融和を最大限考慮せざるを得ない(内紛は直ちに政権の危機に直結する)
cの場合、政界工作をできる豪腕が不可欠になり、それができる人物のプレゼンスが大きくなる(そして政界のジョーシキからすれば、現役の政治家でそのような豪腕を有するのは小沢氏以外には存在しない)
つまり、シナリオa-cについて、菅氏のプレゼンスはa>b>cの順であり、小沢氏のプレゼンスはc>b>aになる。


さて、参院選の結果は不確定としましょう(世論調査を見る限りは、よくてb、悪くするとc)。
だとすれば、菅氏が2(つまりマジの権力闘争)を選択することは、自分で自分の首を絞めることになります。
というのも、cは言うまでもなく、bにしても小沢氏の協力を仰ぐ(少なくとも小沢氏を邪険にしない)ことは不可欠だからです。
であれば、菅氏がもし戦略的に振る舞おうとすれば、2を選択するわけにはいかないことになります(2という選択肢は戦略的でない)。


ところで、2と3は区別困難(2と3が変わり得ることも含めて)と言いました。
つまり、マジで対決しているのか、対決している振りをするのか、判別するのは困難ということです(簡単に区別できるなら、振りをする意味はない)。
そうすると、選挙結果が不確定な状況で、菅氏が戦略的に振る舞おうとするなら(2ではなく3を選択しようとするなら)、明示的もしくは暗示的に、自らが3を選択していることを示す必要があるでしょう(それを直接小沢氏に示せば1になります)。


以上、(見通しの決して明るくない)参院選を控えた菅政権の振る舞いについて、戦略という観点から論じてみました。


繰り返しになりますが、この論考はあくまでも戦略的思考に関するものであり、各プレイヤー(例えば菅氏や小沢氏)が具体的にどのように振る舞っているかを論じるものではありません。
その辺りは、ネット上にも掃いて捨てるほどいる政局分析家(≒政治ヒョーロン家)にお任せしましょう。

戦略的思考 鳩山首相辞任試論

今読書中の『ゲーム理論で不幸な未来が変わる!』
予言的中率90%を誇る、ブルース・ブエノ・デ・メスキータ(21世紀のノストラダムスらしい…)という人の書なんですが。
ゲーム理論を用いれば、未来予測、さらには未来操作すら可能だとする、いささか挑発的な本です(もちろん、誰でも簡単に、というわけには参りませんが)。
いやぁ、実に面白い(内容はまた後日述べるかも?)。
かくいう僕は、予言の言語ゲームというエントリーで予言(未来予測)を批判したばかりなんですけどね…
もっとも、僕が前エントリーで批判したヒョーロン家的な予言(≒与太話)と、(上記の書に記されている)ゲーム理論による未来予測は別物である、と断言はできるわけですが…
エントリー修正の必要にはせまられるかもしれません。


ところで、鳩山首相および小沢幹事長の辞任について、主に政局的な観点から様々に論じられている。
代表的なものは、一つは小沢幹事長の意向による辞任説(小沢氏が鳩山氏を辞めさせた)。
もう一つは、鳩山首相による道連れ辞任説(鳩山氏によるクーデター)。
他にも、アメリカによる脅し説もありますが、それは鳩山首相による道連れ説に吸収可能だろう。


政局話をここで披露するつもりはありません(その能力もありませんし)。
ただ、上記のような政局話ではこぼれ落ちるところもありそうで、主に戦略的な観点から鳩山首相辞任について論じてみたい。


その前に…
政局的な話は、突き詰めて言えば、「各プレイヤーの思惑(意図)が状況を作り上げる」という信念に基づいていると言えます。
そこには、さらにいくつかの前提を置くことができるでしょう。
1.各人は各々独立に、意図を有することができる。
2.各人の意図は、(各々独立に)その人の行為を形成する。
3.その行為の集積が状況を作り上げる。
さらに、これは必ずしも共有されてはいないかもしれませんが、
4.異なる意図は、異なる状況を引き起こす(言い換えれば、ある特定の状況を引き起こす意図はただ一つに決まる)
ということもあるでしょう。


こんなところかな?
4はさらに、異なる政局観は互いに両立不可能である(つまり、正しい政局観は高々一つである)、を帰結します。


簡単にまとめると、政局的な話は、意図→行為→状況、という流れを単純に前提している、ということになります。
鳩山氏&小沢氏W辞任に引きつけて言えば、鳩山氏の意図→辞任という流れと、小沢氏の意図→辞任という流れが対立するという構図になります(正しいとしてもどちらか一方だが、それは永遠に確定不能)。


さて、では政局的な話からこぼれおちる、戦略的な話はどうなるというのでしょうか?
戦略的な話では、(意図ではなく)状況(の把握)がキーとなります。
では、鳩山氏辞任における状況(の把握)とはいかなるものでしょうか?
いくつか挙げられますが、政治という局面で落とすことのできないものをとりあえずピックアップしてみます。


1.鳩山内閣(および民主党)の支持率が持続的な下落傾向にあり、20%を切る状況にあったこと(その原因は問わない)
2.同様に小沢幹事長の辞任を求める声が世論調査で圧倒的に優勢であること(上と同じく原因は問わない)
3.参議院選挙を直前に控えていること
が基本的な状況になりますが、さらに、
4.一般に、新しい内閣の支持率は前政権の末期に比べ高く出る
5.一般に、政治において、選挙に勝つこと(少なくとも大敗しないこと)はほぼ常に(第一ではないにしろ)高いプライオリティーを有する
という一般論を加えてもいいでしょう。


いくつか補足しておきますと、大手メディアの世論調査が恣意的で誘導的であ(り得)ること、大手メディアの普天間問題や小沢氏の報道が恣意的であ(り、さらには悪意的ですらあ)ること、検察の小沢氏捜査が公正さを欠いていること、といったことは状況(の把握)とは取り敢えずは別物です。
もちろん、これらはこれらで非常に重大な問題ですが、本論考はあくまでも戦略的な思考についてのものです。


さて、上記の状況1-4を踏まえ、さらには参議院選挙で勝利する(すくなくとも大敗しない)という命題(短期目標)を置くと、どのような行為が戦略的になるでしょうか?
まず、鳩山首相続投は(個人的には非常に残念ながら)戦略的とは言えないことになります。
2007年に支持率低迷に喘いでいた安倍ちゃんが、参院選に勇猛果敢に突っ込んで大惨敗したことは記憶に新しいでしょう(小沢氏の選挙戦略もあったでしょうが)。
「敗戦覚悟で猪突猛進」は美学的ではあるかもしれませんが(特攻好きの日本人には堪えられない)、決して戦略的ではありません(少なくとも政治家にとっては)。
同様に、小沢氏の幹事長続投も、決してプラスとはならないでしょう。


つまり、支持率低迷、参院選での大敗を避けるという(限定的な)条件のもとでは、W辞任はほぼ不可避となります(長期的な損得は措く)。
後はどのような形が民主党にとって、ダメージが少ない(あわよくばイメージアップにつながる)か、ということですが…
メディアにおいて、鳩山政権はずっと「小沢傀儡政権」「二重権力」と批判されつづけてきました(それも支持率低下の一因であると考えられますし、少なくとも支持率を上昇させるものではありません)。
だとすれば、鳩山氏が小沢氏辞任を決定したこと(少なくとも辞任演説で明言したこと)は、上記の構図をひっくり返す上で有効に機能するでしょう(「鳩山政権は決して小沢氏の傀儡ではない」)。
さらに小林議員への議員辞職勧告を含め(妥当性は措く)、(小沢氏にとってはほとんど名誉毀損に等しい)「政治とカネ」の問題にも、一応のケリをつけた格好です(幹事長を辞任した以上、メディアや自民党も「説明責任」をこれまでほどには連呼できないでしょう)。
念のため付け加えますが、参院選まで2か月を切っている状況で、捜査の不当性などに訴えることは得策ではありません(あくまで参院選を目標にする限りにおいて)。


さらに、小沢氏排除かどうかはともかく、参院選までは、小沢氏が前面に出ない方が賢明だと言えるでしょう。
菅氏は「小沢氏は少し静かにしていた方がよい」風のことを言ったが、それは「小沢傀儡政権」「二重権力」との批判を封じ込める効果がある(本人の意図はさておき)。
同様に、あくまでも参院選での勝利(大敗の回避)を目指すならば、党人事、組閣は小沢色を控えめにしたほうがよいと言える。
そして、上記のことは、菅氏、小沢氏の思惑は別として、実際に進行している事態でもある。


つまり、現在進行中の事態は、参院選での勝利(大敗の回避)という短期目標のための戦略的な振る舞いとも言える。
さらに付け加えるなら、この事態は、各人の思惑がどうであれ起こり得る(つまり、菅氏と小沢氏があらかじめ示し合わせたかどうかは、取り敢えずは無関係である)。


さて、冒頭に政局とは、各人の思惑から作り上げられると述べました。
だとすれば、各人の思惑とは独立に論じられる戦略(例えば上記の視点)は、政局からは決して論じられないことになります。
そして、実際の政治的帰結をもたらすのは、政局ではなく戦略でありましょう。
それが、僕が戦略を重視する所以であります。


取り敢えず、長くなりましたので、本日はここまでとします。
次エントリーでは、個々人の思惑を絡めてもう少し論じるつもりです。

戦略的思考雑感 感情の相対化について

えー、前回のまとめを少々。


つまり、戦略的思考の一指針(と僕が考えるもの)。


自分の行為が引き起こす反応を、可能な行為についてシミュレートし、その反応を起こす人々の利害を考慮せよ。


そのためには、必ずしも自分の望まない行為することをも、想像しなければならない(それはたいていの場合、不快感を引き起こす)。
したがって、単に自らの感情の赴くままに行為する人は、そのような行為(不快感を催す行為)をそもそも考えようとすらしない(不快な刺激を避けたいのは、人間の自然な感情である)。
つまり、上記のシミュレート(それは、人の上に立つ人間には絶対的に必要なものである)のためには、感情の相対化が絶対的に必要である(そのためにはある種のトレーニングが必要になる)。


それらの反応および人々の利害を考慮した上で、目標達成のための最適な(と考えられる)行為を選択せよ(それがたとえ行為者に不快を催すものであっても)。
そのためにも、目標を明確にする必要がある。
目標はさらに、上位目標、下位目票に分けられるかもしれない(そして、下位目標ごとに、最適な行為が想定されるだろう)。


もちろん、上記のシミュレーションに従った行為が、最適になるとは限らない。
その場合は、シミュレーションを修正する必要に迫られるかもしれない。
そこでもまた、感情の相対化が必要になる(自らの判断が間違い得ることを受け入れなければならないが、それもまた不快感を催すものである)。


ということで・・・
まとめると、戦略的思考にはいずれにしても「感情の相対化」がポイントになるということ・・・かな?
まとめとしてはちょっと違っている気もするけど・・・

戦略的思考 社民党編

少し時期を逸した話題ではありますが・・・


「最低でも県外」との発言を守れず、日米共同宣言に「辺野古」という文字を入れた鳩山(前)首相。
「最低でも県外」と鳩山氏が公言したが故に、連立に入った(と言われている)社民党。
「辺野古」記載が沖縄に対する裏切りとして、署名を拒否し罷免された福島瑞穂社民党党首。


その後の内閣不信任案に対する賛成をにおわせた福島氏の言動など諸々ありましたが、とりあえず上記の過程でにおける、福島氏の行為(署名の拒否)について考えてみたい。


その前に・・・
福島氏の署名拒否に対しては、それを支持する立場と批判する立場に比較的明瞭に分かれたと思う。
支持する立場としては・・・


沖縄基地断固反対という強硬派(という表現が妥当かどうかはさておき)ですかね。
「筋を通した福島氏は立派だ(そんな立派な福島氏を切った鳩山氏には失望した)」的な。
某有名ブロガーき○こ氏がその代表でしょうか。
まぁ、ある意味わかりやすいといえばわかりやすい(言葉は悪いが、直情的である)。
構図としては、「基地を押し付けられてきた(虐げられてきた?)沖縄に対する味方」というポジションである(そして、多分そのようなポジションに対するニーズも一定程度はあるだろう)。
このわかりやすさゆえに、沖縄の支持は得られるだろう(が、沖縄の問題をそれほど身近には感じられない政権支持派の理解は得にくいだろう)。
逆に、(数はさておき)とにかく強固な支持が欲しいとすれば、署名拒否すればよいとも言える。


さて、では批判する立場としては・・・
先に述べたように、沖縄の問題をそれほど身近に感じられない(あるいは普天間問題を優先順位としてはそれほど重視しない)政権支持派は福島氏の署名拒否を「短絡的」と批判するだろう。
というのも、鳩山氏は内閣の方針として「辺野古」記載を決定したわけで、である以上署名拒否は罷免に結びつく他なく、それはさらに連立離脱へと向かわざるを得ないからだ。
それはすなわち、社民党が元の弱小野党へと再び舞い戻ることを意味するのだ。
政権にいるからこそ、自分達の政策(社民党にも実現したい政策はあるだろう)を実現する可能性がある(だからこそ、公明党はあそこまで与党に拘ったわけだろう)。
弱小野党にいる限りは、(どれほど望ましいものであろうと)政策を実現できる可能性はほぼゼロである。
一方、政権にいれば、粘り強く交渉することで、移設を反故にできる可能性もゼロではない。


ところで政権支持派には、政策を実行したい政策実行派(?)と、権力のうまみを味わいたい利権派がいるだろう(そして、後者の可能性が排除されないがゆえに、政権支持派は胡散臭く思われる)し、それをぱっと見で見分けることは難しい。


それはさておき、「辺野古」記載の署名を拒否したとたん、逆説的だが、辺野古移設が不可避になるわけだ(少なくとも社民党がそこにコミットすることが不可能になる)。
言い換えれば、政権からの離脱は、自ら辺野古移設阻止の道を閉ざすことになるわけだ。
もちろん、社民党が単独過半数を得られれば可能ではあるが、そこまでお目出度い思考を有している人は、さすがに社民党支持者にもゼロだろう。


ここまでは、社民党あるいは政権シンパの立場から書きました。


もう一つ、政権批判派の立場から福島氏の行為を評価する立場もあり得るでしょう。
その場合、福島氏の行為をどう評価するかと考えてみますと・・・
恐らく福島氏の行為(署名拒否)を支持するだろう。
というのも、上記の通り、政権を分裂させる格好のエサになるからだ。


さて、パッと考えただけでも、福島氏の署名拒否という行為が引き起こす反応が分析できる。
で、大事なことは、福島氏はいずれかの行為を選択せざるを得ず、ということは100%の賛意を得ることはできないだろう、ということだ(つまり、必ず批判を受けることは覚悟しなければならない)。
政権を分断させたい人々は、あの手この手を使って、「筋を通す福島氏」を賞賛しまくるだろう。


さて、中途半端ではありますが、福島氏の署名拒否をまとめますと・・・


署名拒否という行為を賞賛する立場がある。
同様にそれを批判する立場もある。
そして、その両者は恐らくは交わらない。
だとすれば、多大な影響力を及ぼし得る人(例えば政治家)はその影響力を加味して戦略的に振る舞う必要があるだろう(個人的には振る舞って欲しい)。
もちろん、戦略的に思考した結果、あえて「短絡的」に見える振る舞いをすることはあり得る。


まぁ、一言で言えば、場合によっては「泣いて馬謖を切る」という選択肢が政治家には必要になる、ということである。

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