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2023-05

妄想じみた覚書 麻薬と監視カメラ

少し前のことですが、なにか、突然降って沸いたような、大学生大麻汚染報道が続きました。

“大麻学生”5人を処分、女子学生は退学 同志社大学
「ついに京大もか…」逮捕の知らせに驚く学生ら
大阪学院大生らも逮捕 芦屋大生通じ大麻容疑
薬物汚染で「関関同立」が共同声明 組織的な啓発活動へ連絡会設置

他にも探せばいくらでもあるでしょうがキリがないのでこの辺で。
このときは、「何か不自然だな」とは思いつつも、それ以上疑問を深めることはしなかったのですが。
ここでは、大麻にはタバコほどの依存性はないとか、大麻はアルコールほどは判断力の低下をもたらさないとか、大麻の法的規制の疑問点(タバコやアルコールの合法性の疑問点)には踏み込みません。
個人的には、タバコやアルコールの嗜好を違法としないのであれば、大麻を違法とする根拠は乏しいのではないか、と思っております。
それはさておき。


誰が言っていたかは忘れましたが、「特定の報道が突然増加する場合は、背景に政治的意図があると考えるべきだ」、という風なことを述べている人がいました。
日々のニュースに接する上で、これは意外と大事だな、と思ったのですが。
そこで本日見かけたニュース

薬物汚染対策悩む大学 監視カメラ設置検討 「過剰反応」懸念の声も

なるほど…
たしかに、大学の自治が言われるし、大学の教員には(営利を旨とする一般企業に比べれば)、人権意識を強く持った教員が少なからずいることでしょう。
したがって、スーパーやコンビニであればほぼ抵抗なく受け入れられた監視カメラを、大学に導入するためには大義名分が必要となる。

そこで、大学が「大麻」という犯罪に汚染されている、となれば大学構内への監視カメラ導入への抵抗は弱まるかもしれない。
そのための、洪水のような「大学大麻汚染」報道だとしたら…

では、なぜ大学へですが…


ここからが妄想力発揮
もちろん、一般論的に、国家権力はできるだけ多くの市民を監視下におきたい、大学だけを聖域にしておきたくはない、ということがあるだろう。

より大学という特性へ踏み込むと…
日本の大学生は、今現在大掛かりなデモを起こすことはないように見える。
しかし、過去を振り返れば、日本にも大規模な学生運動があった。
特に全共闘のころは、大規模なローラー作戦で学生運動家が軒並み捜査されたとか。
それを考えれば、今後反権力的な学生運動が起こる可能性はあるのではないだろうか?
少なくとも若者にはその潜在力がある(と思いたい)。

それを見越して、権力が大学への監視を強化するべく先手を打ったとしたら…

ここまで妄想力

以上は山本節子氏著『大量監視社会―マス・サーベイランス 誰が情報を司るのか』を読んだおかげで(?)、考え付いたのかもしれません。
行政と業界が一体となって、監視社会がどのように組織されていくのか。
その実態を知ると背筋が寒くなってくるかもしれません。
それを可能にしてきたのも、長い間政権交代をすることなく、行政が思うままに権益拡大ができてたせいに思えます。
そこに歯止めをかけるためにも、是非とも政権交代が必要だと思う。
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妄想じみた覚書(2) 天皇制

12/24追記あり

喜八ログで天皇制について触れられていた(というより天皇制に言及する土井たか子について書かれていた、というべきだが)。

というわけでもないのだが、僕の現時点の天皇制に対するスタンスを書いておこうと思う。
まあ、「quine10の天皇論なんざ興味ない」という人が大半だろうし、正直引いてしまう人が多いだろうと推察するのですが…

一昔前は天皇制廃止論者だったと思う(「テンノー制ハンターイ」とまでは叫びませんでしたが)。
しかし今の時点では、「まあ積極的に支持もしないが、存続もありかな」、という消極的存置派(という立場があるのか?)と自己規定している。
特定の人物を国家統合の象徴として崇め奉るメンタリティには正直ついていけない部分があるが、それをムキになって否定するのも大人げないかな、なんて(我ながら随分と大人になったものだ)。

ただ、積極的天皇制存置派にしろ、消極的天皇制存置派にしろ、それを言うのはあくまでも国民である私たちであるわけで。
言い換えれば、天皇制が存続するのは、天皇制を支持する国民のみならず、天皇であり続けてくれる天皇がいるからでありまして。
つまり、天皇制存置派は取り敢えず自分の意向を表明しているだけで、天皇である人物の意向は棚上げにしていると言えるわけであります。

何を言いたいかというと。
「仮に」天皇が「一抜けた」とおっしゃった場合に、天皇制は存続するのか?という疑問ですね。
天皇に「天皇を続けてもよい」というご意向がある限りにおいて、天皇制存置派は天皇制存続という自らの願望が叶えられるということなのでは?という疑問と言ってもいいのですが(消極的存置派の場合はそれほどの願望を有していないでしょうが)。

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些か妄想じみた覚書(議院内閣制について)

世に倦む日々というブログのこちらのエントリーを読んでいてふと考えた。
日本は議員内閣制を採用している。
一部引用してみよう。

引用開始
議会は二院制の場合には主に下院の信任が必要とされ、一方で内閣は連帯責任による議会の解散権をもつことによって、制度上議会と内閣との間に相互関係を築いている政治統治体系をいう。
引用終了

「議員」内閣制とは、決して「与党議員」内閣制ではない。
しかし、日本での実態は、当たり前のように「与党議員」内閣制である。
そこで、些か妄想じみた提言をして見たい。

それは、内閣の過半数を野党から採用するというものだ(目から鱗ではないかな?)。
単純に野党全体から選ぶか、党別(獲得議席と反比例?)に数を割り振るかは別途議論すべきだろう。
それをキチンとルールとして明示する(次期選挙で政権交代が実現すれば是非とも民主党に提言してみたい)。
これは、議院内閣制とは矛盾しない。
首相だけは与党から輩出でよいだろう。
これによるメリットはなんだろうか?

それは、議会と政府との緊張を常に作り上げるということだ(その緊張は現在の「衆議院と参議院のねじれ」の比ではない)。
政府と与党が一体化し、政治が弛緩することを妨げるだろう。
政権交代をしても、この緊張は変わることはない(自民党が野に下れば、自民党が内閣の過半を占めることになる)。
現状なら、共産党からも常に数名の大臣を輩出することになるだろう。
無党派の議員の扱いはどうするか?
無党派の議員を特別扱いする理由はない。
無党派の人間も当然大臣候補になる。

そうすることで、政党政治を相対化できるだろう。
つまり政治の重心が、政局から政策へと大きく軸足を移すことになる。
僕自身は脱政党政治が民主主義を大きく前進させると信じている。

当然、欠陥は色々とあるけど、まあ現時点ではそこは強調しなくてよいでしょう。
些か(?)妄想じみた提言なので、戯言と聞き流してもらって大いに結構です。
魅力的な案と感じた人は、パクって頂いても大いに結構です(誰もパクらない?そうですか)。

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